投稿

8月29日(月)断固たる休日

イメージ
 8月29日(月)。今日は、お参りの予定もなく、出講も会議の予定もなく、休日。 業者さんやもろもろの予定が入りそうになったが、休日にすることを想定して、別日に調整をしていた。急なおつとめも、所要も入らなかった。まごうことなき休日。   昨日の公開講演会 がおわったところから、「終わった!休みだ!」感を堪能した。    今朝は、目覚めてから、昨夜力尽きて残していたお皿やお鍋などを洗い、幾つかの家事をしてブログを書いた。昼前からは買い物に。来月から保育園に通う子どものために、必要なものを買い出しに。買い物は半日がかり。  夕刻、いろいろとお世話になっている 伊丹のクロスロードカフェ が 20週年を迎えるということで、お花を買ってお祝いに。たくさんの人のお祝いのお花が届けられていた。滞在中も、いくつかお花が持ち込まれていた。  クロスロードカフェに足を運び、交流させてもらったのは、ここ5~6年のことだけれど、毎回新しいつながりをもらったり、刺激的な情報に接したりさせてもらっている。  大きなイベント事より、地域の人たちとつくられている日常がここにある感じがしている。こんな場所が、もっといろんなところにあったらいいなぁ。  帰宅後、クロスロードカフェでテイクアウトした夕食を食べる。  明日からまた、積みあがっているお仕事をやっていこう。

8月28日(日) 「おてらのそうじ(34)」と公開講演会「戒律とはなにか?」(2)

イメージ
 8月28日 こちら( 「おてらのそうじ(34)」と公開講演会「戒律とはなにか?」(1) )の続き  8月28日の午後は、公開講演会「戒律とはなにか?」。こちらは、先月に第一回( 第一回の記録はこちら )を開催したものの2回目。前回は、そもそもの「戒律とはなにか」についてお話いただいたが、今回は、仏教における「自死」の問題。  講師の大谷由香先生は、「不殺生と自死」という論文で、中外日報社の第18回「涙骨賞」という賞を受賞されている。受賞論文は全文こちら( https://www.chugainippoh.co.jp/info/ruikotu/ruikotu018-01-001.html )から閲覧できる。  本堂には約30人の参加者。西正寺の門徒さんや、恒例の勉強会(はすの会)に参加してくださっている人の他、大谷先生や講演内容に関心を持ってきてくださった方、園田学園の担当している講義の実習として参加してくれた学生さんなど、多様な顔ぶれ。  講演内容を大谷先生のお話は、要約すると以下のようなことなどをお話いただけたと理解している。  ・(前回のおさらい)戒律とはなんだったか  ・ 殺戒(不殺生戒)の成立とはどんな経緯があったのか。    → 不浄観を修行した比丘たちの希死念慮と、大量殺戮事件(恐ろし)。  ・ 自死は殺戒に抵触するのか?  ・ 自死に対してお釈迦さまはどのように接せられたのか?  ・ なぜ「自死」は罪であるというような観念が生じてきたのか?    → 近代以降に発生した比較的新しい観念。芥川龍之介の遺書等を引きつつ、近代以前は「自死」は忌避されるものと考えられていなかったのではないか?というお話も紹介された。  休憩をはさんでクロストークでは、 ・釈尊以来、仏教は自死ということに向き合ってきた歴史がある。 ・その中で、自死を推奨していくのでも、また自死を断罪するのでもなく、非常にあいまいな態度をとっている。しかし、その「あいまいさ」「許容する姿勢」が希死念慮を抱く人にも、居場所を作ることになっていたのではなかったか。 ・修行者、比丘が、生きていくことに苦しみを抱えて、希死念慮を抱くということは、「苦しみを離れる」ということをテーマにしている仏教でどのように理解すべきか?  → 仏教が「苦しみ」を問題としていく中には、、泰然自若とした、苦しみを...

8月28日(日) 「おてらのそうじ(34)」と公開講演会「戒律とはなにか?」(1)

イメージ
 8月28日日曜日。  7時15分から、おてらのそうじ、34回目。  月に一度、お寺に集まってそうじして、朝ごはんをたべる会。  今月はひさしぶりに、ご飯を炊いておにぎりを、それぞれで握ろうという予定だったので、集合前に6合ほどお米を研いでしかけておく。  7:15開始。開始時には6名くらい。勤行をし、ストレッチをしながら自己紹介と近況報告、そして順次おそうじへと進んでいくと、10名弱に。  それぞれ、本堂の外陣の掃除機かけ、縁側の雑巾がけ、お墓の掃き掃除などをしてくださる。僕は、内陣のほこり取りや、午後の講演会のために什物の移動等。  8:00過ぎ、おそうじを終えて、朝食。それぞれがもちよってくれた具をつかいながら「おにぎり」を作って食べる。飛沫・感染に気をつけながらワイワイと。  終わった後、コーヒーやお茶を飲みながら、時間の許す限りゆるゆると。  少し雲がかかったお天気で、気持ちよい風がとおる涼しさがあった。ゆるゆる、のんびりとした気分。気の置けない人たちとのおしゃべりも楽しく、いつまで、ゆるゆる、のんびりておきたい気分。  9:30すぎ、お参りへ。午後からは「公開講演会」が予定されている。  続きはこちらへ「 「おてらのそうじ(34)」と公開講演会「戒律とはなにか?」(2)   https://ryogo1977.blogspot.com/2022/08/2802.html 」

8月27日(土)3年ぶりに盆踊りが開催されていた

イメージ
  8月27日(土)。はれ。  朝、移動中にJR塚口駅前の公園に、やぐらが組まれているのを見かける。青年会のみなさんががんばって、準備をしてくれていた。それを見て、「おお!盆踊りあるのか!」と気が付く。  コロナで3年ぶり。    お昼過ぎまで月参り、法事のお参り。  午後はデスクワーク。  夕刻は、盆踊りに参加。幼子は、はじめての盆踊りで大きな音に驚いていた。

8月24日(水) 住職継職奉告法要の会議をするなど

イメージ
 8月24日水曜日 晴れ。  月参りとお葬儀のおつとめ。  故人は、古くからお寺とお付き合いの深かった御門徒のおうちの方。いろいろな思い出とともにお送りをする。  午後、資料作りやもろもろの調整の作業をし、15:00から「住職継職奉告法要実行委員会」。11月3日に、住職継職奉告法要を予定している。2020年5月に予定し、延期・再延期を経て、3度目の正直のような、開催を目指して準備しているところ。  16名ほどの御門徒が実行委員として会議に参加してくださっている。今回は、前回からの進捗、記念品や発注内容の確認、現在の参加の返信数の報告、そして、当日のタイムスケジュール(大枠)の報告等を行った。  大きな議題もなく、時間を割いて集まっていただくことに恐縮な思いもあるが、マイルストーン的にこういう会議を持たせてもらうことで、自分自身の準備作業の動因にもなり、進捗確認にもなるので、非常にありがたい。(本当に、進捗確認になり、ありがたい。大事なことなので、2度言う。)  細かな疑問や、調整が必要な指摘もあり、やはり投げかけて相談すること、一人では見えない視点をもらうことは大事だとも感じる会議だった。西正寺の御門徒のみなさん、本当にサポーティブなかかわりをしてくださっている。ありがとうございます。 (これは、先月(7月)に案内状の発送作業をしてくださっているときの様子)  会議後、会場の片づけ等をして、通夜のおつとめに。  お参り→葬儀→会議→通夜というスケジュール。当初予定以上に詰まってしまったが、務めをひとつひとつ務めとして行っていきたい。    故人は、父の同級生で幼馴染のような方。小さいときにはよく一緒に遊び、中学校は毎日一緒に登校していたという。ご家族とのあいさつのときにも、そのお話を共有させていただいた。お通夜のおつとめをしながら、故人のこと、ご家族・参列の方のことを思うとともに、翌日の葬儀で導師を務める前住職(父)は、どのような思いで故人と向き合うのだろうか、などとも思う。 とはいえ、あらためて直接聞くようなことはしないが、そんなふうな問いが頭に浮かぶ。  通夜を終えて、お寺に戻った後、葬儀の準備。それから翌・25日にある布教使課程での講義の準備。これはひとえに自分の怠慢であるが、資料の準備があまり進められていなかったために、12時を過ぎるまで、どうしようか、こう...

8月26日(金)NHK文化センターの講義で 梅田にでる。

イメージ
 (遡っています。)  8月26日(金) 午後からNHK文化センター(梅田教室)の講座へと出講。  電車で大阪へ出る。久しぶりに電車に乗っている人、都会を行きかう大勢の人を見る。  あらためて、人を”見る”だけで刺激があるものだと感じる。  これだけの人にそれぞれの生活があり、いろいろなものがあるのだという想像が、リアルな人をみることによって、おのずと立ち上がってくるのだろう。うまく言語化できない「刺激」がたしかにあった。  講座は、『歎異抄』の第十三条。先月に引き続いての箇所。  「さるべき業縁のもよおさば、いかなるふるまいもすべし」。縁次第でどのようなことをするかわからないのが、われわれ人間というものである。むしろ、縁によって、自らのありようやふるまいがきまっていってしまう、それしかないというところに、凡夫の凡夫たる根拠があるようにも考えている。真実なるもの、たしかに握りしめられるものがあれば、「縁」によって左右されることはない。それを握りしめ、うしなわなければいいのだ。しかし、そういったものが、わずかばかりもないのだと、看破するところに、浄土教思想がつないできた人間観がある。  講座は、ついつい難しい方へ流れてしまいがちになるが、ずっと受講してくださっている受講生のみなさんには感謝である。  

8月25日(木)布教使はお聴聞の方に育てられている…のだと思っている。

イメージ
 (※現在8月29日、さかのぼって記述している)  8月25日(木)。晴れ。 ◎法務  午前中はお参り。前日に記載していたように葬儀のおつとめもあったが、父に導師をつとめてもらい、私の方は通常の月参りを中心にまわる。 ◎伝道院に出講  午後からは、京都に移動し、伝道院にて布教使課程の講義に。7回シリーズの七祖の講義、5回目で善導大師。  前日の夜中1時ぐらいまで、どうまとめたものかと、試行錯誤していた。  13:30~16:30までの3時間。古今楷定のポイントをテキスト記載の事項を中心にまとめてお話する。 16:45の夕事勤行では、法話を担当。力なきものの力、無力なものの力、ということを、 こちら に、以前書いていたことを例に出しながらお話した。 ◎夜座(伝道院) すこし待機時間を経て、19:00からは、夜座をおつとめ。 夜座については過日ブログに書いたこちらの記事 「「法座を開く」というカリキュラムについて」(https://ryogo1977.blogspot.com/2022/08/823.html) を参照されたい。  19:00からの夜座は、布教使課程の研修生が中心になって運営してくれた。  外部からの参加者も数名あり、いつもとは違う緊張感もありながら、「仏教の法味・よろこび」を同じくする人が集う場ならではの、雰囲気もあったように思う。  開会のあいさつ、説明のあと、勤行、研修生2名からそれぞれ15分ずつの法話、その後、休憩はさんで意見交換会、散会というスケジュール。  正直いうと、想像以上によかったという印象。  受講生の皆さんは、非常に丁寧に真摯に、運営・進行をされていた。拙さを感じる部分はあったが、それもふくめて丁寧さ・真摯さとして伝わるものがあったように思う。  やはりお聴聞の人がいらっしゃると、緊張感は増すようで、いつも以上に法話する受講生が緊張していたのが伝わってきた。また、普段ならしないと思われるようなところで、お話することが飛んでしまうという部分も。しかし、それでも場がしらけたりすることはなく、むしろあたたかな雰囲気で、話し手を見守ってもらえているようであった。  細やかなところはともかくとして、このような「法座」を経験できたということは、研修の上で、その意味は小さくないように思っている。他所に出ることなく、伝道院の中でこのような実...

広告A