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記念行事について「池邊さん」がnoteに記事を書いてくださったということ。

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 せいざん株式会社の池邊文香さんが、先日の西正寺の記念行事について、ブログを書いてくださった。気が付けば、もうあれから1月近く経とうとしている。(早い!)  池邊さんには、ここ2年ほど、西正寺で開催している「葬送」をテーマにした会に講師として登壇してもらっている。その他、いろいろなことで意見や情報を交換している。今回の記事では「同志のような関係」と表現してくださっていて、光栄なことである。 「光の寺」 note 池邊文香_せいざん株式会社 https://note.com/seizanikebe/n/n824094bad0db 「お寺をひらくということを中平住職は軽やかに行っている稀有な存在」といいつつ、「中平さんのふるまいは実は非常に堅実だ。」ともいう。「軽やか」と「堅実」という点で評価いただけているのはとてもうれしい。僕自身のこうありたい、というスタイルをその通りに評価し、言葉にしてもらえたような思いである。  ここに書いてくださったようなことは、過分な評価されているような、一方で「こうありたい」「こうあるべき」というお寺のもつ可能性を提示してくださっているような内容であるように思う。  ひるがえって、まだまだ、お寺として「できること」を十全にやれているという気はまったくしていない。現実には、今の段階で、昨年度の会計報告を取りまとめることやら、寺務書類を作成するのに、ヒーヒー言っている。講義の準備もしなければと、気ばかりがあせってしまうのが現実である。  引き受けた仕事や、日常のルーティンに追われながら過ごしてしまっている。あらためて、本当にやるべきことにちゃんと向き合えているか考え直さないといけないと振り返っている。  

ルンバに祈祷してお別れをするというニュース

本日、目にしたのが、以下の様なニュース。 電波新聞 2024年6月9日 「ゆきちゃん、ありがとう」 廃棄予定のルンバ、20組が祈祷 神田明神で感謝祭   https://dempa-digital.com/article/563764 ルンバのお別れに際して、祈祷すなわち宗教儀礼をおこなうということだそうだ。 人の葬儀は簡略化、あるいはその意味を問い直される言説がある一方、このようなニュースに対して「違和感」もなく、その意味が付与されているような気がするところに、なにか考えを及ぼす手がかりみたいなものがあるような気がする。 「儀礼」とはなにか、あるいはわれわれが「人」や「人格」を見出すというのはどういうことかとか。  頭の中になにかまとまっているわけではないが、気になったニュース。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 電波新聞 2024年6月9日 「ゆきちゃん、ありがとう」 廃棄予定のルンバ、20組が祈祷 神田明神で感謝祭 アイロボット https://dempa-digital.com/article/563764  アイロボットジャパンは8日、廃棄予定のロボット掃除機「ルンバ」を持ち寄って祈祷する「2024 ルンバ感謝祭」を東京都千代田区の神田明神で開催した。ルンバユーザー20組が参加し、廃棄前の最後の別れを惜しんだ。

「新書を一冊買おうか」と思っただけなのに…

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   昨日(5月26日)の事。 「リハビリしなきゃ」と思ったこと もあって、また時間ができたこともあって、久しぶりに、本当に久しぶりに、大型の書店に入った。  茶屋町の「MARUZEN & ジュンク堂書店 梅田店」だ。立ち寄る前には、お昼ごはん前に立ち寄って、人文の本棚をざっと眺めて、新書でも一冊買って読もうかと思っていたのだが、なんだかんだと、本棚をうろうろとして、1時間ほど滞在してしまった。  「新書を一つ」と思っていたが、写真の本たちを手に取ってレジに向かってしまった。  「多分、ここで手にしておかないと、もう買わないし、読もうとも思わないはずだ。 (でも多分これらは読まなきゃいけないはずだ。実際に読めるかどうかは別にして、読まなきゃいけないはずだ、はずだ、はずだ、……) 」という言い訳を内心に持ちながら。 ・ 『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、ジャケ買いというか、タイトル買いというか。読んでいると面白かった。タイトルから想像するような「読めない心理」とか「行動」が問題になるのではなく、もっと大きな日本近代の「労働史」と「読書史」とでもいうような、社会状況や観念の変遷を扱ったものだった。 モチベーションが高くて、今の時点で半分くらい読んでいる。(またレビュー書きたいと思う)  『ジュリスト』と、『終活と法』は、法律関係の書棚で手に取った。法曹関係者向けの雑誌だろうと思う。宗教法人法の解説書とかってあるのかな、ってのぞいてみたが、数ある法律書がある中で、1冊もそれらしいものは見つからなかった。それだけニッチな業界の法律ということなのか、扱わない・扱われることがないということか。しかし、それもまた問題や課題として扱われるようになったときに「実情」をちゃんと反映できる声や人が集まっていないということにならないか、とも心配に思う。  法律関係の棚で、かかわりのありそうなものがこの2冊だった。  カルト・霊感商法の問題は、昨今の状況から一読しておこうと思ったもの。  もう一つの就活にかんしては、知人の弁護士さんを通じて関連する相談やお参りをさせていただくこともあり、そっち業界(つまり法曹関係の就活界隈)について、一度目にしておいてもいいかな、ということで手が伸びた。     結局思ったことは、ちゃんと本屋さんに足を運ばないとだめだな、ということ...

「少しだけ、無理をして生きる。」

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 城山三郎『少しだけ、無理をして生きる』(新潮文庫、平成24年)に、城山三郎氏が、小説で、新人賞を受賞したあと、選考委員だった伊藤整氏から忠告としてもらった言葉が紹介されていた。   伊藤整さんも、「新人賞の選考会では、一橋のあなたに何もしてやれなかったけれども、一つだけ忠告をするよ」と言ってくれました。  「あなたはこれから先、プロの作家としてやっていくのだから、いつも自分を少しだけ無理な状態の中に置くようにしなさい」  これも大岡さんの言葉同様、私にとって実にありがたいアドバイスになりました。〈少しだけ無理〉というのがいいのです。ごく自然にアイディアやインスピレーションが湧いたから小説を書く―これは無理していませんね。自然のままの状態です。小説や詩はインスピレーションが湧いてこなければ書けないだろうと思うのですが、夏目漱石の『文学論』を読みますと、作家にとってのインスピレーションというのは人工的インスピレーションだ、とある。つまり、ぼんやり待っていたら何かがパッとひらめいた、じゃなくて、インスピレーションは自分で作り出すものだ。だから、インスピレーションを生み出すようい絶えず努力しなくてはならない。自然な状態で待っていてはダメなんです。負荷をかけるというか、無理をしなくてはいけない。けれども、それが大変な無理だったら続きませんね。作品がダメになってしまう、あるいは体を壊してしまう。 (84-85頁)  ほんとに、そのとおりだ。  ここしばらく、ずっと本を読むのもままならない。知的活動において、インスピレーションはおろか、インプットすらちゃんと行えていない。リハビリをしよう。

「宗教的な救い」とはなにか?

・先週は宮崎先生と対談でした  先週の土曜日 4月13日の午後は、相愛大学の企画で、宮崎哲弥先生の講義にゲストスピーカー・対談相手として、登壇させていただく機会を得ました。  以前このブログでもご案内していたこちらです。  【登壇情報】宮崎哲弥先生と対談します。 https://ryogo1977.blogspot.com/2024/04/blog-post_4.html  こちらの講義は、相愛大学の講義として学生の単位となりつつ、また一般にも有料で公開されているものとのことでした。 宮崎先生の講義を受けに来られた一般の方の他に、相愛大学の学生さん、関係者・先生方が出席されていました。私のブログの投稿で、興味を持ってくださった友人・私の講座の受講生の方も何名かお越しくださっていました。(ありがとうございました) ・講座、対談の内容は…  宮崎先生の仏教理解や講義スタイルの独自性に、いろいろと考えさせられるところもありました。 しかしながら、登壇させていただいた後半部分は、宗教と社会の関係性から、宗教者の社会活動というような部分に話題が広がっていきました。  お寺の活動、臨床宗教師や災害支援、ビハーラ活動、貧困支援など。チャプレンの活動から、軍隊へのコミットや、教誨活動等についても話題は及びました。  いろいろと多岐にわたりましたが、聞かれたことにこたえつつ、話題を広げていくという時間で、大変楽しく過ごさせてもらいました。(受講された学生さんたちの感想も、なかなか良かったようで、うれしく頂戴しました) ・教誨活動にふれて  話題が「教誨活動」に及んだとき、「宗教的な救い」とはなにかということに触れる場面がありました。 宮崎先生の講義でも「救い」ということに注目されている発言があったので、そこに触れていく必要を感じたからです。  この「教誨活動」とは、教誨師という、刑務所などで活動する宗教者の活動のことで、浄土真宗の僧侶も多くこの活動にかかっています。先年、大杉連さん主演で「教誨師」という映画も公開されました。  Wikipediaのリンクを参考に置いておきます。 Wikipedia「教誨」  教誨師の活動は、刑務所に足を運び、受刑者に宗教的かかわりをすることをその勤めとしています。一番シリアスな場面では、「死刑」になる直前に、その受刑者の要望によっては面会し、...

西正寺でバスツアーを実施します

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西正寺で、来月5月にバスツアーを企画しています。 昨年、本願寺の慶讃法要に参拝する京都へのバスツアーを開催したところ大変好評でして、それならと今年も開催することにしました。 詳細は、下記のリンクからご覧ください。 西正寺バスツアー 播磨の仏教寺院をめぐる  http://saishoji.net/archives/1534 門徒さん対象のツアーで、普段からお寺を支えてくださっている還元ということもあって、大変お安く設定しています。(なんと 5000円) 御門徒でない方は、2000円を上乗せした額をお支払いいただく形になりますが、関心を持っていただければ、参加の申し込みをしていただくことは可能です。(それでも、比較的 割安なはずです) 行先は、加古川市、小野市内のお寺を回ります。 先日、4月3日に、下見をしてきまして、大体の所用時間と、行程のめどが立ちましたので、下記のようなスケジュールで考えています。 集合 朝 7:50 JR塚口駅前 午前 ・加古川市 鶴林寺、敬信寺を参拝・見学し、昼食 午後 ・道の駅みきに立ち寄り、小野市 浄土寺を参拝・見学し、宝塚北SAに立ち寄り帰着。 その後、希望者は懇親会場へ(別途 会費を設定) 鶴林寺( https://www.kakurinji.or.jp/ ) :589年(崇峻天皇2年)創建とも伝わる、聖徳太子ゆかりのお寺。天台宗のお寺。多くの国宝・重要文化財をはじめとする文化財がある。(国宝2件、重要文化財18件、県指定文化財12件、市指定文化財24件) 教信寺: 親鸞聖人が尊敬された「加古の教信沙弥」ゆかりのお寺。  教信沙弥については、ひとまずwikiペディアの情報から → Wikipedia「教信」 浄土寺( https://ono-navi.jp/spot/463/ ) :鎌倉時代の重源建立の寺院。快慶作の5.3mの国宝・弥陀三尊像が圧巻。これを皆さんと一緒に見たくて、今回のツアーを企画したとも言えます。個人的目玉。ぜひぜひ。 (加古川 鶴林寺の大門)

【登壇情報】宮崎哲弥先生と対談します。

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非常勤講師としてお世話になっている相愛大学で、以下の講演会があります。 第一回のゲストスピーカーとして、登壇させていただくことになりました。 (添え物なので、ちょろっとです。) ご期待にそえるかどうかわかりませんが、 お寺での活動や、宮崎先生がお話しされたことなどから、対談をさせていただくようなこととうかがっています。 ご期待に沿えるか、役割を果たせるかというドキドキも含めて、ご関心もっていただけましたら、どうぞよろしくおねがいします。 https://www.soai.ac.jp/information/event/2024/03/miyazaki-01.html 2024年度相愛大学人文学部公開授業「仏教文化講読1」 宮崎哲弥客員教授による「あなた」のための仏教思想 講師:宮崎哲弥客員教授+ゲストスピーカー 日時:年間11回 各日14時00分~16時00分(開場受付開始:13時50分) [第1回]4月13日(土) 今、仏教を学ぶ [第2回]5月18日(土) 誤解されている仏教の教え [第3回]6月15日(土) ブッダの教え「縁起」 [第4回]7月13日(土) ブッダの教え「無常」「無我」「苦」 受講料:2,000円/本学ウェブサイトにてお申込後、コンビニ決済にてお支払い 場所:相愛大学本町学舎 (OsakaMetro御堂筋線「本町」駅下車C階段4号出口より徒歩約5分) お問い合わせ先:相愛大学人文学部人文学科合同研究室 TEL:06-6612-6247 (平日9時00分~17時00分対応) E-Mail:jinbungakubu@soai.ac.jp

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