2024年2月17日土曜日

僧侶がなぜ「あの葬儀会社はよくない」という話ができないのか

 業界に詳しい知人と話していたこと。

 テレビCMなどでバンバンと流れている、さるグループ・系列の葬儀会社の実情がとてもひどいという話が流れてくる。

 具体的にはかけないが、内容がひどい、高額請求がひどい、うたい文句と実情がかけはなれている・・・など枚挙にいとまがない。
 
 一回限りの葬儀であるということや、葬儀形式の縮小等により葬儀経験が極めて少なくなっている現状(つまり、多くのケースが「初めての葬儀」に近い状況)により、比較対象がなく、なにがよくて、なにがよくないかわからない、という状況にも拍車をかけているように思う。

 じゃあぜんぶ、暴露してしまえばいいかというと、なかなかそういうわけにもいかない。
 お坊さんと葬儀会社の付き合いがあるんでしょ、と思われるかもしれないが、それは大したことではない。それだけならば、全部暴露してしまって、いい葬儀社・よくない葬儀社と、出してしまいたいくらいである。

 僕がそれをしない、できない理由は、「葬儀会社との関係」が理由ではなく、「その葬儀会社でご葬儀をした御門徒」が目の前にいるかもしれない(そして実際にいる)からなのだ。
 もし、具体的に「あそこの葬儀会社はひどかった」とか、「高かった、ぼったくりだった」とか、よくない評価を明確に下してしまったならば、その葬儀会社の評価だけではなく、その葬儀会社でおこなったご葬儀、ひいてはご遺族の葬儀にたいする想いや、その葬儀自体を「ひどいもの」として立ち上がらせてしまうことになる。
 その点を斟酌(しんしゃく)いただければ、事後的に「どこどこの葬儀がひどかった」という話が、僧侶・寺院側から明確に出されてこない理由もお分かりいただけるのではないだろうか。

(正直、こういう話自体―つまり、よくない葬儀会社があるということ、それを僧侶が内心でおもっているということ自体を表現すること自体―に、躊躇がないわけではない)

 とはいえ、こういう状況を放置していては、ますます「葬儀」をお勤めする意味は見失われ、仏教ばなれという状況になっていってしまうのだろう。葬儀へのコミットの仕方は考えなければいけない。

 現状何ができるかというと、葬儀については、信頼できるお寺・僧侶が身近にあれば/いれば、事前に一度相談するくらいはしてみておいてほしい。
 
 ※事前に葬儀会社に見積もりをとおもわれるかもしれない。しかし、ほかの業界でもそうかもしれないと思うが、よくない会社の見積もりは、見積もりの意味をなさないケースがあるので参考にならない。(もちろん、いい会社の見積もりはちゃんとしています。)
 つまり、「いい会社」と「よくない会社」が見極められている方は、この投稿は捨ておいていただいて結構です。

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