2024年2月20日火曜日

ある火葬場で、お棺の運搬が全自動だったことに驚いた

◎某市の斎場はとてもきれいだった

 先日、お葬式をお勤めしたご縁で、少し離れた箕面市の火葬場に赴いた。
 前住職は来たことがあるそうだが、私は初めて足を運んだ。


 そこでのこと。「火屋勤行」をお勤めする際に、そこの係の人がお棺を炉の前室に運んでこられる。しかし、普段見慣れた光景と少し違っていた。

 お棺を運ぶ台車が、人の手ではなく機械が自動で動く、全自動式だったのだ。
 まったく人が手を触れていない。係りの人の手には、リモコンのようなスイッチはあるが、操作するわけではなく、勝手に動いているのだ。想像していなかった形式だったので、正直少々驚いた。

 ※ 箕面市のホームページには、「棺運搬車」の写真はないが、

お棺を運搬する台車は電磁誘導方式に依る「無人搬送システム」を採用しており、儀式の流れに従って無人で動き、設定された火葬炉に自動で納棺します。

 と書かれてある。
・箕面市「火葬施設について」
 https://www.city.minoh.lg.jp/seien/seien/kasousisetsu.html


 葬送のシステムの進展は著しい。
 進んだところではこんなことになっているのかと、驚いた。
 終わった後も、ご葬家と「全自動でしたね。驚きました」と感想をすこしお話したりもした。


◎全自動の棺をみたことにことよせて、初七日のお勤めのあとにお話ししたこと

 さて、その「全自動」のインパクトにことよせて、そのご葬儀の初七日のあと、次のようなお話をさせていただいた。あらためて、私自身が心に思ったことでもある。


 火葬場で、棺を運ぶ台車が、全自動だったのですこし驚きました。
 葬儀の形や道具はどんどんと変わっていきます。でも、どこかで「人の手をかける」ということも大事なことのように思うのです。

 全自動の棺運搬車がありましたが、お葬儀のあと、それから火葬場についてから、ご家族の皆さんで「棺」を持って運んでくださいましたよね。 葬儀屋さんがやってもいいのに、全自動の台車が運んでもいいのに、ご家族のみなさんの手で運ばれた。そこでいろいろなことを感じられたと思うのです。

 実際に棺を持ち上げて、その重みを感じること。お花を手向けて、故人のお顔や体に触れられること。そういう「作業」を、他人や機会に任せるのではなくて、自らがされる中で、思い出されること、感じられること、あるいは心の中で言葉や、約束ごとのやりとりがあるかもしれない。気持ちの整理ができたり、あるいは、あふれ出す感情があるかもしれない。

 お通夜、ご葬儀、火葬場でのお勤めや、さらにこの還骨のお勤め、初七日のお勤め、たくさんのお勤めをして、時間かけて、一つ一つ丁寧にお送りをしてきていただきました。
 それはもしかすると「しなくてもいいこと」なのかもしれませんが、一つ一つ、時間と手をかける中でしか、感じられない思いや、感情が、お葬式の中では大切なことなのかもしれないと思っています。

 機械にまかせること、業者さんにまかせること、あるいは私たち僧侶にまかせていただくことや、できることもあるかもしれませんが、一つ一つご一緒いただき、時間をかけて、てをかけていただいた中で、お送りのお勤めをさせていただいたなかで、感じられたこと、故人の言葉や、思い出や、約束されたことを、また大事にしていただきたいと思います。

 心寂しいとき、落ち着かないとき、あるいは故人を思い出されたとき、お仏壇のご本尊の前や、ひとり心落ち着けられる場所などで、どうそ心をお浄土の故人に向けていただく時間をまた大事にしていただけたらと思います。。。。(要旨・以下略)


 ともかくまあ、全自動の棺運搬車はインパクトがあった次第である。


0 件のコメント:

コメントを投稿

「宗教」・「カルト」を扱う講義をするので

今日の龍谷大学文学部で担当している「伝道学特殊講義」(学部3・4回生対象)は、講義で指定しているテキスト 『基礎ゼミ宗教学(第2版)』 。今回は、第9章の「カルト問題」にどう向き合うか?―カルト、偽装勧誘、マインド・コントロール」を扱う予定。  数年前に大阪大学が、大学としてのカ...