2024年2月18日日曜日

これから「葬儀」の形について考えてもいいはず(でも・・・)

昨日、葬儀について、ブログを書いた。

「 僧侶がなぜ「あの葬儀会社はよくない」という話ができないのか」
https://ryogo1977.blogspot.com/2024/02/blog-post.html


 近年、いろいろと教えていただいたり、情報交換をしたり、西正寺にもお話に来てくれたりしている池邊文香さんも、以下のような記事を投稿されている。参考までにご紹介しておきたい。

池邊文香氏(せいざん株式会社)note
「なぜ葬儀の高額請求トラブルは増えるのか?」https://note.com/seizanikebe/n/n9003d9ac44e5


  そもそも、葬儀の料金や宗教者へのお布施が高額すぎるのではないかというのは、以前からずっと言われ続けてきたことでもあるだろう。しかし、ある一面から見れば、過去の(ある特定の時期・時代)葬儀の規模や形式であれば一定の納得感があったものが、変化してしまったにもかかわらず、葬儀プランや、お布施の金額の規模だけが温存されてしまっているという問題もあるのではないかとも思っている。

 たとえば、町内や仕事の付き合いのある人など大勢が参列する葬儀、社葬等の一定の規模の葬儀であれは、祭壇を花で大きく飾り、盛大に葬儀をお勤めする意味は見出しやすい。
 また、参列者が香典を持参していたことは、葬儀に対する相互扶助の意味が少なからずあった。そういう意味では、過去のそういう時代の葬儀というのは、「個人」や「一家」という単位で出すものではなく、参列者も含めて、遺族・参列者、その他関係者が経済的にも協力し合って作り上げているものであったという見方ができる。

 しかし、「家族葬」という名と形式の流行で、その流れは大きく変わってきている。
 香典返し等の負担を軽減する目的もあるのかもしれないが、「お香典は遠慮」ということの方がスタンダードになりつつあり、形式も規模も、名目も葬儀は「家族」か「個人」のものになりつつある流れは、おそらく誰の目にも明らかなものだろう。

 そういう意味では、葬儀の参列者の規模も、経済的規模も、それまでの「コミュニティ」(町内・あるいは職業的な交際、会社関係名なども含めた)から、「ファミリー」的なものになっているといえる。

 葬儀にかかわる中で、肌感覚としては「コロナ」によって、それは不可逆な勢いで、一気に進んだように感じている。企業活動や大きな組織の活動であれば、大勢の人を集めることに違和感はないかもしれない。しかし、個人的なこと、家族的なこと(それは葬儀がもはやその枠内にあるという意味でも)に、「大勢の人を集める」ことは、どこか「いけないこと」であるような雰囲気を感じてしまっている人・社会になってしまったように感じている。


 ともかく、今書いたように、葬儀が規模の大きな「コミュニティ」としての営みだったものが、小さな規模の「ファミリー」的なものに移ろったにもかかわらず、葬儀にかかる費用の水準というのは、従来のそれからあまり推移していないのではないか。そのことに、もうすこし違和感をもつべきではないのだろうか。そんな風に考えてもいるのである。

 もっと、いろいろなやり方や、形式の見直しはあってしかるべきのような気がしている。
 (※文末に補足を書いている)

 葬儀の際に、僧侶(私)が司会の方のマイクによって、仰々しく紹介されて入場し、お勤めを終えると、また仰々しくお礼を言われながら退場し、厳粛に葬儀を勤められる形式も一定の意味はあるのだろうと思う。ただ、過去の形から変化した「ファミリー的な規模」で、あたたかく送るのであれば、また少し違った僧侶のアプローチや、かかわり方もあるはずだろうとも思っている。思っているが、思いつつも具体的にそれができるかというと、そうでもなく、悶々としているというのが、現状の現実でもある。(ごめんなさい)

(以上雑感)


(※)補足
 このように書いたが、しかし「葬儀」に関する寺・僧侶の負担は少なくないというのもまた事実である。日程的には突然に発生する緊急のスケジュールであり、それだけの「重み」があるのもまた「葬儀」というものである。もしほかの予定があれば、最優先で調整される。予定がなければないで、それまた貴重なはずの休日は返上ということになる。
 正直、葬儀の布施が多くの場合、お寺の経済的事情を左右するということも少なくない事実であり、その「経済的構造」や、「マンパワー的課題」みたいなものも、また現実重たい問題でもある。お寺側の問題ではあるが。


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