2019年2月9日土曜日

190206_普通を語ろう パート3



2019年2月6日(水)
「普通を語ろう」(仮)の三回目を開催。

これまでの開催については、以下を参照ください。

「普通を語ろう (仮)2回目」
https://ryogo1977.blogspot.com/2018/09/180912.html

「普通を語ろう」初回
https://ryogo1977.blogspot.com/2018/04/blog-post_81.html

今回は、当日までに「参加する」とリアクションしてくださった方が、主催者2名を含めて5名と少人数になりそうな雰囲気だったので、いつもの本堂ではなく本堂脇の座敷を会場に準備をしていました。

ところが、蓋を開けてみると、総勢10名の参加者に。
これまでとあまりかわらない規模の参加者数になりました。しかしながら、会場は八畳の座敷。ちょっと手狭な感じのある中での開催となりました。

今回のお話の内容は、上の写真のファシグラのような感じです。
(作者は、いつもとおり、共同主催のまるちゃん。今回もお疲れさま、ありがとうございました。)

 冒頭、自己紹介で、この会にどうしてきたのかをみなさんに話してもらい、一通り一周。1名の常連さん(過去2回とも参加)の他は、初めてお越しの方7名という構成。

今回は「発達障害」の当事者の立場からの発言があり、その感じていらっしゃる「普通」を聞かせていただくことからハナシが始まるような形になりました。それに対して「同じように思う」と発言されたことがあったが、確認してみると、共感された側は「同じようだ」とは思っていなかったりということもあり、その「差異」も大変興味深く思いました。

(それは、「共感できていなかった」ということではないと思う。「同じように思う」と思われたことはその通りなのだろう。ただ、突き詰めて見たときに、「伝わり切れなさが」が残るということも往々にあることだし、また完全に一致するということもまた珍しいといってよいことなのではないかと思う。トークの場では、「共感」よりも、ある種の当事者性を前提に語られた感覚が、どのように違っているのかで、より具体的に「理解」したいとおもって、差異を浮き彫りにしていくような問いを投げ掛けていた。)

今回の話は、「普通」について、自分と異なる「普通」を抱える人(相手)といかにコミュニケーションを取り向き合っていくのかというようなことが話題の中心に進んでいきました。特にその相手との関係性で、とりうる手段が変わったり、うける印象がかわったりするという具体的なケースを交えた共有が行われていたのが印象的でした。

19:00~21:00まで、みっちりと普通について語り合う時間。今回は3回目の「普通を語ろう(仮)」だったけれど、過去2回とはまた違ったテーマが扱われていました。それは、こちらが何かを準備したり、議論を導こうとしていないにも関わらず、話題は参加者の構成や思いに従っていくのか、それぞれ「違う」普通の話題になっていっているようでした。
 共同「いいだしっぺ」のまるちゃんも、言ってくれていたように、「参加者」「メンバー」によって作り上げられる「場」が、今回のセッションをもたらしたのだろうと思います。そういう意味では、「語り合いの場」という、今、この場でおこっているリアルな話題や感情に目を向けて行くことが、この会の肝であることを再確認したような時間でもありました。


 あんな普通もある、こんな普通もあると、話題を広げていくこともできるし、もっと抑圧や、権利の侵害、さらには「生きづらさ」を生じさせる「普通」という切り口もあるのでしょう。もちろん、そういう場ももちろん必要だろうと思うし、そういった場になればという期待もないではありません。けれども、そういうことが「日常」や自分の体験の延長と切り離されたところで行われるべきことでもないようにもまた思うのです。だからこそといってもいいかもしれませんが、今回多くの話題にあがっていた、日常のなにげない具体的な経験や、衝突やあつれきから感じることがらの積み重ねから考えていくような意味を大事にすることも大切なのではないかと思います。
 日常に感じる小さな違和感、「普通」という言葉のとらえようのなさ。あるいは、簡便にそれを用いて「思考停止」してしまうことについての自覚。そういうものの延長に、それぞれが考えをおよぼしていくきっかけにもなるかもしれないとも思います。
 
 参加者のみなさんが「こんなにも普通について考えたことはなかった」とか、「考えすぎて今夜な寝れそうにない」という言葉をくださって、大変もやもやとしたものを(いい意味でそして、本人も前向きに)受け取って下さったりしていたこと。あるいは、「我々は本当に普通なのだろうか」というよく分からない問いを素直に表出してくださっていたことが、呼びかけた者としては、よかったなぁととても喜んでいる次第です。


(こぼれ話)



当初、フェイスブックのイベントページを、友人の「ハト」さんが前面にでるものにしていたのですが、そのハトにひかれて、別のハトさん(メスとおぼしき)が、関心をもって、参加して下さるという貴重な機会にもなりました。
ハトが尼崎地域に出没することは、もうみなさんはおどろかれない(普通)のことかとおもいますが、2羽目がでてくることは、なかなか機会だったのではないかと。





※【参加費は寄付】
 「普通を語ろう(仮)パート3」にご参加いただいたみなさま、関心をむけてくださった皆様ありがとうございました。

当日、お支払いいただいた「常識的な普通の額の参加費」については、ポノポノプレイスさんが進めていらっしゃる地域の「地域のリビング「多世代交流拠点!・尼崎ふらっとカフェ」の取り組みに寄付をさせていただきました。

ちなみに、この事業は、クラウドファンディングもされていますので、よろしければご覧下さいませ。
https://camp-fire.jp/projects/127664/activities/72611?fbclid=IwAR2z1KYq-CVO4rPyi5jhzLcP5Ot4oVAILBuauMNZV8O3-0I9QTCh7qPhGms
 









0 件のコメント:

コメントを投稿

「宗教」・「カルト」を扱う講義をするので

今日の龍谷大学文学部で担当している「伝道学特殊講義」(学部3・4回生対象)は、講義で指定しているテキスト 『基礎ゼミ宗教学(第2版)』 。今回は、第9章の「カルト問題」にどう向き合うか?―カルト、偽装勧誘、マインド・コントロール」を扱う予定。  数年前に大阪大学が、大学としてのカ...