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はすの会 案内

自坊・西正寺で開催しています「はすの会」。 次回は今週末・ 4/18土曜日、13:30からです。 テーマは、お釈迦様の苦悩~出家とその理由 です。 関心を持って下さる方がいらっしゃったのと、以前の案内には、時間が書いてなかったので こちらにも記載しました。 詳細は、こちらにも。 http://seikouzan.blogspot.jp/2015/02/27.html

研修

就任二日目は、終日研修。 新規採用者研修会 朝から、夕刻までぎっしり。 午前 ・建学の精神と大学の歴史 /  ・ハラスメント問題について /  ・教職員組合について 午後 ・健康管理センターの取り組み /  ・福利厚生 /  ・大学の教育方針、計画 /  ・研究活動について 夕刻は友人たちとの食事会。

4月1日 大学入学式

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4月1日。新しい職場に移りました。 母校でもある、龍谷大学です。 8:45から、辞令交付式。 11:30から、大学の入学式、その後、オリエンテーション。 夕刻まで、研究室で引き継ぎと、新年度初日らしい、ぎっしりの一日でした。 19:00から箕面でバスケットして、いい汗をかいて帰宅。 辞令交付式・大学の入学式で、学歌を歌ったときに、 「あぁ、ここは大学なんだ」と思いました。 儀式(儀礼)によって、所属を意識づけられるというか…。 全体的には、前の職場とおなじ「仏式」によって、式典をしているわけですが、 そこで感じるもの、印象の大きな違いに、少々驚いたわけです。 式に参加して、身体をともなった、意識の変革が起こったというようなことかな? 入学式は、教員用の席もあったのですが、 なんか「助手」っていうポストは、壇上の「先生」よりも、 学生と同じ目線でものごとをみていったほうがいいのかな、というような思いと、 もっというと、「先生扱い」されることの、不慣れな感から、 学生席にすわって参加しました。 入学式は、博士課程以来なので、かれこれ13年ぶり? 多くが10代のこれから学生生活をはじめるという、若い学生の初々しさが、 同じ空間にいながら、遠いもののようにも思えたのは、年を取ったということでしょうか。

最後の出勤

3月31日。 毎年この日は「年度末」ということもあって、少々特別な感じで過ごすのですが、 今年は特に意味ある日なりました。 明日4月1日からは、職場が変わることになりました。 自分にとっては、職員として最後の出勤日なのです。 今の研究所には10年勤めさせてもらいました。思い返せば、いろいろありましたが、本当にいろんなことを勉強させてもらった10年間でした。 まずは、人に感謝。 上司、同僚。先輩、後輩。 入って何も知らない、分からない中で、仕事の仕方を教えてもらいました。 本当に苦しいときには、いつも助けてもらいました。 仕事によっては、頼りない自分の差配、指示についてきてくれました。 なにより、おなじ「研究」をするものとして、 つねに刺激しあえる人たちが集まっていました。 いろいろありましたが、本当に人に恵まれていた期間だったと思います。 やってきたことを振り返ると、自分の幅が大きく広がった10年でもありました。 大学でやってきた思想研究、仏教についての考えが、社会へと広がった10年でもありました。 ちゃんと自分の成果として、研究を目に見える形で蓄積できなかったのは、 自分の怠惰のせいでもありますが、残念で、なさけないことではありますが、 自分のなかでは、大きな蓄積になりました。 「教団」や「宗教者」を理念的なものではなく、 社会的な存在として考えることができました。 政治思想、社会活動、社会学的な視点も研究所の業務として接点を得ていくことで、 自分のなかの「仏教」が、それまでの「思想研究」としての机上だけのものではなく、 現実の中での立ち位置を模索することができるようになったようにも思います。 平たく言うと、そんな政治のこととか、社会の事って、 職場に来るまで深く自分のこととして考えていなかったよね、という青さを知ることになったわけです。 これは、今後、自分がずっとやっていくだろう僧侶という立場を考えても、 また明日から移る職場でできることを考えても、大きな力になっていくだろうと思っています。 もっといろいろと、思うべきこと、書くべき事があるような気がしてなりませんが・・・。 まだ、いまの職場を離れるのだという実感はなく、 それでも今日、辞令をうけとる(はず)です。 「実感...

種付け料と給料と…。

ステイゴールドの死亡ニュースに接して。 種付け料は、600万円。800万円だったこともあるという。 http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2015/02/06/kiji/K20150206009758830.html うん。僕の年収を凌駕している。 とりとめもないことをいくつか考えました。 【というわけで立った問いは】 「僕が一年がんばってする仕事よりも、ステイゴールドの種付け(交尾)の方が、「高価」なことについて」 【問いから考えたこと】 (1)せいぜい僕の仕事など、ステイゴールドの種付け以下。 (2)いやいや、それは、競走馬が誕生し、それらが稼ぐ金額に対する「投資」であって、 「労働」の価値とは、一線を画すべき。 (2-1) 「強い馬」に賞金が掛けられ、大きなお金が動いていくことは、社会的に認められている。  しかし、「馬」にお金をかけるのと、「ゲームのカード」にお金を掛けるのとは、本質的に違わないのではないか?  極端な話、子どもが熱中するカードゲームのカードにプレミアが付いて「1000万円」という値付けがされてもいいのかどうか? (2-2)「馬」はやはり、たくさんお金を持っている富裕層の遊びだ。 (3)僕が生存(生活する)のにかかるお金(年収)と、馬の種付けに係るお金は、「同じ価値」を取引しているものとは思えない。  → これは以前読んだ、『貨幣の思想史』から、教えられた「貨幣」がもたらす問題点。 まとまらないけれど、アレコレ考えたのでのこしておく。

池内恵『イスラーム国の衝撃』(文春新書)

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池内恵『イスラーム国の衝撃』(文春新書) ふらっと立ち寄った本屋さんで発見。  昨今の事件を自分なりにも消化したい思いが、ふっとでてきた買った。  集中して、1泊2日で読了。  イスラーム国の成り立ちや、特徴、思想、  それから中東のこれまでの政治情勢がわかりやすくまとめられていた印象。    新聞やニュースを読んで、なんとなくしか触れていなかった言葉に (まだ漠然としているけれど)意味と、背景を与えられていった感のある読後感。  ばらばらと放り込まれていた中東情勢が、なんとなくまとまりと流れをもって 自分のなかにつなぎ合わされていったような感覚も。  「宗教」と「国家」(政治)との関係、  それから、現実の状況(政治状況・経済状況・生存状況)に対する不満や鬱屈を 回収する機能としての宗教のあり方など、 考えるべきことは多々。  もうすこし時間をおいて考えてみたいとも・・・。  

つねに外側にあるものを考える

フェイスブックで紹介されて拝見した、 池口龍法さんの『南部再生』の文章。 http://www.amaken.jp/nambu/49/14.htm 尼崎で育った自分についてもじっくりと振り返えさせられる文章だった。 インスパイアされて、思ったことを少し書きます。 小学校は、僕が2年生の時に創立5周年を迎える新しい学校だった。 校舎もきれい。 暴力や問題は、(もしかしたらあったのかもしれないが、子どもの僕にはほとんど) 目にすることもなく、安定した、穏やかな小学校時代だったと思う。  自分の性格にその小学校の6年間は大きく寄与しているように思う。 ところが、進学した中学校は、当時は市内で1・2を争う問題のあった学校で、 「荒れた」と表現されるイメージは一通り、そろっていた。 男子トイレには、鏡はなく(すぐに壊されるからと聞いていた)、 個室の扉は破壊されていた。 タバコの吸い殻は廊下やトイレの至る所にあった。 授業のボイコットする生徒もあたりまえにいたし、 3年間のうちに、 先生が怒って授業を辞めて、泣いて出て行ったことも、 同級生が、国語の時間に先生ととっくみあいのケンカを始めたこともあった。 いまとなっては、いい思い出。 授業中に、学校のまわりの道路を、 同級生がバイクにのって、走り回っていたこともった。 誤解のないように書いておくと、僕は、 半年ほど、病気を理由にほぼ自主的に学校へ行かなかった以外は、 いたってまじめな中学生だったと思う。 一方で、バスケ部だったおかげで、荒れた友人もでき、 トラブルや因縁に巻き込まれることも少なかったし、 それになり、のびのびとやっていたように思う。 そういう中学校時代を思い返すと、 教壇や、人前にたって話すときに、そういう場所で育った経験というのが、 自分のなかに影響を与えているのではないかと気がついた。 そういう荒れた友人たちは、当たり前のようにある「前提」を一通り拒否していたし、 その論理は、同年代の僕たちにも共有されていた。 そもそも 「なぜ授業をまじめにうけなければいけないのか」 「学校にいかなければいけないのか」 「先生のいうことを聞かないといけないのか」 稚拙な反発なようだけれど、 知らない間に設定さ...

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