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1月, 2009の投稿を表示しています

犬の鳴き声

 けっこう前から、オス犬とメス犬の鳴き声の違いがわかるようになった。  お参りをしていて犬の相手をしていると、なんとなく違いがわかるようになったようだ。  最近は、確信的に判断することができる。  これを人に言うと、ちょっと驚いてもらえる。だいたいの反応は、 「(オスとメスで鳴き声が)違うんですか?」と。  ちがうのです。  鳴き声の違いが判るようになってから、犬の鳴き声で性別を判断してほとんど外れたことはない。  去勢した犬はどうかな~と思ったけれど、あれもオスの鳴き声をしていた。  そういえば、変声期ってどうなんだろう。  ・・・  ということで調べてみると、犬にもどうやら声変わりがあるらしい。    へぇ・・・。

奥さんのコメント

ウチの奥さんがのたまう。 「チミのブログには、仕事のことしか書かないのかね?」 そんなことはないのですよ。ほら、この通り。 そんな奥さんと先日、 スピッツ のライブに行きました。 (チケットをくれた srutam さん、ありがとう) 人生初ライブ。 人生初大阪城ホール。 なれない場所で、ちょっとアウェイながら、非常に楽しみました。 音楽を楽しみながらいろんなことも考えた時間でした。 (そんな意味でも、充実していました) 例えば・・・  ああいう状況で、身体的なアプローチ抜きに100%楽しむということは可能なんだろうか?とか。  (単純にいえば、みんな踊っているのに、自分だけそこに加わらずにいて、かつライブの楽しさを100%味わえるかどうかとか)  何のしがらみもなく、場に溶け込めるというのはそういう意味で、精神的にも、身体的にも外に向かって開放されている人だなぁと思ったりしてしまう。  アンテナの受信感度と、身体の反応の感度が高いというか・・・。  自分は(楽しみを享受するという意味で)ちょっと損をしているなぁ・・・とかと思いながら、それでも非常に楽しんで、あっというまに過ぎた時間でした。

テスト

 今年度担当した講義のテスト。  試験監督をしながら、問題を解く学生さんたちの姿を見ていて、「テストの時間も濃密だなぁ」などと、時間の濃淡について、昨日に引き続いて思いをはせる。    テストの一時間は単なる一時間ではなくて、それまでの努力・準備が一気に放出される極めて質の高い時間だ。大勢の人間が無言で一枚の紙に、一本のペンで向き合い、その単純な二つの道具に自分の持てるものを表現しようとしている。  密度のある時間というのは、その時間を成り立たせる背後に厖大な努力とか苦労を積み重ねた時間が存在している。どれだけの努力や意識が費やされたかが大きく関わっているのだろう。  そしてその時間は、放出されて終わりではなく、また次に訪れる密度の濃い時間を支える時間になるんだろう。

合気道七段

 水曜日は合気道の日。  昨日は、稽古後、 堀井師範 が七段に昇格されたので、そのお祝いの会があった。  七段ということ自体そもそもすごいことだけれど、それに加えて合気道に生きていくのだという志を持った方が、一つ段を昇るということは、生き方そのものに関わる大きな出来事なんではなかろうかと勝手に想像している。  本人はさほど仰々しくおっしゃらないので。  自分も初段になって、ときどき師範の技を受けさせてもらうことがあるけれど、正対したとき、なみなみならぬプレッシャーが身にのしかかってくるのを感じる。  体の姿勢、足の位置、よけるときの裁き方、一つとして間違えられないという想いと、なんとなくではなく、自分の能力の100%に近い動きをしなければならない状況だということを、いやおうなく感じさせられる。  何分かの時間そんな状況で稽古をしたあと、師範の技の受けから開放されて、他の人と組んで稽古を続けると、その師範と稽古した余韻が残っていて、自然と高いパフォーマンスが発揮され、「自分はうまくなっている!」と思うことが多い。  師範と稽古をした何分かの時間の濃密さが、その余韻を持ってしばらくあとの稽古も支配しているように思えるのだ。そしてその余韻をなるだけ消さないように、長持ちさせるような気持ちで稽古を続けると、確実に「うまくなれる」という実感がある。  その時間の濃密さは、能力を引き出される時間と言い換えてもいいかもしれない。    合気道に関わらず、人の能力を引き出す人というのは、一緒にいる時間が非常に「濃密」に感じられることが人生の経験上わかってくるようになった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今日読み終えた本 坂出祥伸『中国古典を読むはじめの一歩』 反切や、版本、避諱改字などのなかなか扱われない情報について、中国古典の初心者向けに解説された入門書。  著者曰く「本書があつかっているような事項は、せいぜい必要に応じて教えられるか、さもなければまったく教えられることがないと言ってよい」とのこと。けれども、こういうことのほうが実は、研究するものの素養として実は必須だったりすると最近痛感している。こういうことを知らないと、知らないだけでその能力がすでに見極められていたりするものだ。

寒い冬をあったかく

 ユニクロのヒーテックのタイツ。  2年ほど前から冬の寒い日に着用中。  今年はちょっと買い増しをしようと、ユニクロを見つけるたびに  「ヒーテックのタイツありますか?」とたずねて回ってみるものの、答えはいつも「品切れです」  みんな、この暖かさをどうやら知ってしまったようですね。    この間、とある理由から百貨店で、ブランケット(ひざ掛け)を購入したとき、  そこそこ名の知れた会社のアクリル製のものだけれども、売り場のお姉さんは  「アクリルですが、ユニクロのヒートテックと同じ繊維で、保温力も高いです」と。  ユニクロといえば、安い品をたくさんというはずなのに、そこそこの会社が自社の製品のアピールに堂々と用いるとは。  ユニクロの「ブランド力」、品質の訴求力がそれほどにあるということなんだろうか。  ユニクロといえば、昔から変わらず「リーズナブル」な製品を売っているというイメージがあるけれど、それを崩していないにもかかわらず、その製品の能力についてのイメージがどんどんとあがってきているということなんだろうか。  「安さの割りに暖かい」ではなく、「安いにもかかわらず暖かい」といえる品質があるということなんだろう。

しまった!?

 愛機「Let's Note CF -T5」  セキュリティソフトが「脅威」を確認して、駆除!。    それほどネット接続することがなかったので、フリーソフトで対応していたけれど、持ち歩いてフリースポットなどでネット接続することが多くなったので、その脅威の発見をきっかけに、有料のセキュリティソフトを導入した。  あんまり考えず、コストが安いからとソースネクストの「 ウィルスセキュリティ 」を買って導入したものの、ちょっと調べてみると、 問題 が!  i-tuneと競合して不具合が出たらいやだなぁ・・・。  とはいえ、買ってしまったし・・・。すでにインストールしてしまったし・・・。  とりあえず、使ってみて、問題があったらまた考えよう・・・。  やはり購入前にちゃんと検討しないとこんなことに・・・。  

捻挫をした人

 先日、捻挫をした研究所のF丸先生に、  バンデージとテーピングを渡して、足首のサポートの方法を説明。  学生時代は、トレーナーの勉強をしていて、そこそこやっていたんです。  龍大で勉強をして NSCA にも入会して、CSCS(トレーナの資格)も挑戦してみようかと思っていたのです。  卒論の作成と、大学院の進学で、結局こっちの道を選んでしまったわけですが、あの勉強もかなり自分の中では、形を変えて生きていると思います。  全く違う分野のことをやっても、一生懸命勉強したことは無駄ではないのです。  ひさしぶりに、テーピングを足首に巻いてみて、過去に勉強していたことをちょっと思い出しました。

とある写本の束。

滋賀県で古典籍調査。 今日の調査は巻子のみ。 包紙から史料を取り出す。 巻物を開く。(クルクルクル) 寸法を測り、調書に記入。(カリカリカリ) 特記事項も調書に記入。(カリカリ) 巻物を巻戻して閉じる。(クルクルクル) 包紙に再び戻し、調査済みの箱へ。 終日朝から夕方までこの繰り返し。 でも、何かしら心地いい。半日も繰り返してくると、何かしらわけのわからない充実感もやってきた。 生の史料に触れているという事実がそういう気持ちにさせるんだろうか。 何百年も前の僧侶が、一生懸命に書き写した息吹が伝わってくるような・・・。 特に今日はそんな印象を受ける書き込みがある史料を、大の男が四人がかりで、調書を取り続けた。 こんな作業は、単純だけれどいろいろな発見などがあって楽しい。 いとたのし。

中国語復活

この間の金曜日、しばらく休んでいた中国語の講座に復帰。 先生もひさしぶりにいったにも関わらず、笑顔で迎えてくれた。 ただ、9ヶ月以上のブランクはきつく、発音も読みもさび付いていて、また取り戻すのにがんばらないといけない。 こうやって講義を受ける場に身をおくと、いろいろなことに気づかされる。 特に啓蒙的な、カルチャー講座に行くと、あらためて勉強の楽しさとそれを伝える方法などについて考えさせられる。 専門的な知識を持っていない人に話す言葉はどのようなものであるべきかとか。 中国語を教わるだけではなく、教えることについても学んでいる。 教える立場に立っている身で、教わる立場に身をおけることは、非常に貴重なんではなかろうか。 以前から思っていたことだはあるけれど、ひさしぶりに講座を受けて改めて思い返した。

羅生門を思い出す

とある番組のとあるシーンを見て連想的に思ったこと。 (公式の会見場で、場違いな、きわめて一俳優の個人的な部分についての質問を、手順も踏まずに俳優に投げかけ、その場にいる人たちを不愉快にしている芸能記者の言動を見たのです)  ある人たちは、他人のプライベートに踏み込み、あるいはその質問をされた人、追いかけられた人を不愉快にし、また、傷つけることさえもいとわない。  彼らはもしかすると、その所業を糾弾されたときに、「大衆の興味だ」、「自分は自分の仕事をしているのだ」、「自分はこれで飯をくっているんだ」と反論するのかもしれない。  彼らの発する自己を正当化する論理を予想してみると、芥川龍之介の『羅生門』を連想してしまった。  羅生門の上で、老婆に出会い、生きていくためには仕方ないではないかと、悪に踏み込んだあの下人。    彼らは、あの下人と変わらないではないか。  自分を正当化する論理というものは、どこにいても、どのようにしても、簡単に出してくることができるものだ。その自己正当化の最たるものは、「自分が生きていくためには仕方ないではないか」ということになるだろうか。  あれ?それを敷衍していくと、自分も下人になってしまうんじゃないか?  ふと、『羅生門』を思い出したので。 

最終講義

 大学での今年度最後の講義。  3年間講義を持たせてもらって、これで一区切り。 もしかしたら、また声がかかるかもしれないけれども、もしかしたら、もう声がかからないかもしれない。 とりあえず、自分の中では、退職の最終講義。  自分の頭の中で描いた絵と、実際の講義の中身とはギャップがあって十分に伝えるべきことを伝えられたかは心もとないけれども、提出してもらった感想では、学生さんたちには、ちゃんとした「顔のある一人の講師」として認められていたようでよかった。  問題は、来年からこの「講義の為の時間」が一週間のルーティンから消えてしまうわけで。  その濃厚な刺激も、得られることがなくなってしまうわけで。  この抜けた穴をどう埋めようか・・・。  講義の最後に言ったこと。  講義のなかで、たまに文献の内容を茶化して、おもしろく伝えようとしてきたわけだけれど、頭のどこかには、それが大事な何かを台無しにしているのではないかという可能性も思っていました。  文献に書いてあること、お聖教に書いてあることは、読み込んでいくと面白い。ハチャメチャなことや理不尽なこともあるし、わけがわからないこともある。  でも、面白いだけで終わるものではないのです。僕が最初に教わったことは、このいま手の中にあるお聖教は、開く前に頭の前に押し頂いて開くものだということ。床などの直に足の踏み場となるようなところにはおいてはいけないものだということ。  それだけ大事にされているもの、大事にされるべきものなんだということなんです。  先人たちが、苦しいときに、生きていくうえで、ここに書かれていることをよりどころとして生きた重みがある。自分の生き方をたずねていったという重みがある。この一字一句の読みかたに命を懸けて、牢屋に入っても、火の中に入っても守ろうとした重みがある。  そうやって伝えられてきた重みのあるものなんだということ。  すぐにはわからないかもしれないし、ピンと来ないかもしれない。  でも、生きていって経験をつめば、あとになってわかるかもしれない。  若い講師が、アツさに任せて何か言っていると思ってもらってもいい。  でも、頭のどこかに、いま目の前にあるものはそういうものなんだということを、置いておきながら、勉強を続けていってもらえれば、と思います。

仕事始め

 ネット難民は、今日もフリースポットでネットにアクセス中。    仕事始めは、打ち合わせ、メール書き、文案作り、打ち合わせ、まとめの文書作成と、アウトプットの一日。  インプットといえば、朝の電車の 『日経アソシエ』 、今日が最新号の発売だけれど、昨日ぎりぎりで前号を入手。テーマは「チェックリスト」。  中の連載記事のひとつに、「モテる男の消費行動とモテない男の消費行動」の比較を紹介した記事が。自分はというと、後者の消費傾向と一致・・・。     今月17日に、自坊勉強会の報恩講の講師として、SS木先生(旧姓・K島先生)に依頼。快く引き受けてくださいました。ありがとうございます。    今日はアマゾンのショッピングサイトを構築してみようと思います。  現在試み中。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 追記: 右側にアマゾンとのリンクができました。  自分のお気に入りの本のリストもできるようになりました。 買い物もできる・・・。  

引っ越しました!! ブログ再開!!

おひさしブリーフ。 ブログを乗り換えて新しく始めました。 アドレスはこちらです。 ぶつぶついうねん(ver.2.00) http://ryogo1977.blogspot.com/ 改めてよろしくお願いします。 トラックバックはできなくなりましたが、コメント欄はあります。

あけましておめでとうございます。 ブログ再開

 あけましておめでとうございます。  昨年三月の末の書き込み以来、中断していたブログを復活させます。  ブログ開設以来の乗換えで、google系列のブロガーになりました。  あたらめて、よろしくお願いします。  とはいえ、現在自宅はネット接続できる状況にないものだから、 フリースポット で接続中。  一番経済的な手段です。  しばらく私的なネット接続は、これに頼ることになりそうです。  だもんで、更新の頻度はやはり「不定期」の予定です。  お正月モードも今日まで。  年末から昨日までは、お寺のことやら、親戚への挨拶やら何やらでいろいろとあって、今日が実質的にはじめての休みらしい休み。  明日からの平常運行に向けて、リハビリに京都に出てきました。  研究所で、ぼそぼそと、『隋書』の文献研究の下調べをしてすごしました。  

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