2022年9月30日金曜日

9月21日(水)~9月25日(日)までの記録

 バタバタと過ごす中で、気が付けば10日経過した。数日分まとめ書き。

9月21日水曜日
 午前中はお参り。午後から家族と写真の撮影に。

9月22日木曜日。
 午前中お参り。午後事務作業、銀行の手続き等。16:40から相愛大学へ出講「真宗伝道演習」。この日は「宗教」について、考えるワークと講義。学生さんの反響は、ワークが好評。今学期はいつも以上に双方向性を意識して講義をしようと思う。
 帰宅後、家の鍵が見当たらず慌てる。
 (後日談:カギは翌週に発見されました)

9月23日金曜日。
 日中は雨降り。予定されていたキャナルフライデ―の中止が決まり、少々残念。
 午前中はお参り。午後は講義の準備に時間を費やし、NHK文化センター梅田教室に出講。歎異抄第十四条がテーマ。講義前に、余談で受講生のみなさんとおしゃべりしていると、話の流れから、「世俗主義」の概念についての説明に。現代社会がどのように宗教と距離をとっているか、関係を持っているのかという点は、興味をもって聞いてもらえたようだ。

9月24日土曜日。
 とても忙しかった日。
 8:30に一件目のお家にお参りに行き、そのまま、中陰のお勤め、法事(11:00)、法事(12:30)、法事(14:00)と移動しつつおつとめ。ひとつひとつが、大事なご家族をしのぶ機会でもあり、丁寧にということは心がけながらおつとめするものの、やはりゆったりとおつとめできるスケジューリングも大事。 大事に、丁寧におつとめすることで、かえって「疲れ」も少ない。その意味では、「作業」にするのではなく、一つ一つを「おつとめ」としておつとめできたとは思っている。

 15:00過ぎから、建築関係の打ち合わせ。オンラインでつないで行う。30分程のもの。懸案だったことが、一つ進んだようで、よかった。

 スケジュール的にたくさんあったので体力的にやり通せるか?ということが不安だったけれど、無事に一日が過ごせた、という日。

9月25日日曜日。
 午前中お参り。午後夕刻から27日からの永代経法要の準備。
 お荘厳を整え、もろもろの準備をする。

 



2022年9月22日木曜日

9月20日(火)「宗教実践特殊研究」(龍谷大学 実践真宗学研究科)と衣の相談。

9月20日火曜日。

◎台風14号のこと

台風14号は、夜のうちに通過。朝のニュースではすでに、宮城県沖に抜けていた。
19日には、時速20キロ~30キロ程度のゆったりとした移動だったものが、時速75キロとかなり速度もあがっていた。暴風域もなくなり、この後の災害の危険度も下がった模様。ひとまず、安心。
用意していた資材・物品も役に立つことはなかったが、それはそれでよかったと思うべきなのだろう。

◎龍大の講義のこと

午前中、事務作業を少々。12時に移動。京都へ。
13:30~ 講義「宗教実践特殊研究」(龍谷大学 実践真宗学研究科)
 昨年同様、以下の二つの書籍をテキストに、受講生のみなさんとディスカッションをする形式の予定。

 ・『現代日本の宗教事情〈国内編I〉』 (いま宗教に向きあう 第1巻) 
 ・『隠される宗教,顕れる宗教 〈国内編II〉』 (いま宗教に向きあう 第2巻) 


    

 この講義の受講生は3名。それに加えて昨年から引き続いて参加したいという大学院生が1名。合計4名のみなさんと講義を行っていくことになる見込み。
 第一回は、オリエンテーションと自己紹介と少しのレクチャー。
 この書籍を読んでいくにあたって基本的な概念になる「世俗主義」について、説明をする。


◎法衣店での相談のこと

 講義後、当日のアポになったが電話で担当の方が在店されていることを確認して法衣店さんへ。 継職奉告法要で、御門徒皆さんからのお祝いの記念品として「色衣(しきえ)」を誂えさせていただくことになったので、その相談に。
 カタログと、実際の織物を拝見しながら、あーでもない、こーでもないと相談しているとあっというまに90分。
 カタログと実際の現物の色合いがちがっていることもあり、また自分がつけさせていただいているお袈裟(主に五条袈裟)との色合いも考えながら、「これだとこうなりますよね。これと、これは合いませんよね」等と。
  
 使い勝手の良さとか、もろもろの諸条件を勘案しつつ、候補を絞って退店。最終決定と注文は後日。ただ、かなり候補が絞られてよかった。
 
 電車にて帰宅。一日でできることは限られている。大事に大事に。
 

2022年9月21日水曜日

9月19日(月)台風がやってくる

9月19日日月曜日。大型の台風がせまっている。
台風14号が接近している。夜から朝にかけて近畿に接近する模様。
昨夜の段階から九州に接近していて、今朝には上陸しすでに被害が出ている様子。暴風域が九州全部を覆うようなくらい非常に大きなもの。
2018年の台風21号の時には、停電をはじめ、大きな被害があったがそれ以上の規模の台風ということで災害の恐れを十分に感じていた。

祝日でもあり、法事の予定もあって、お参りをどうしようかと思っていたが、朝はまだ台風が未達で、雨も降っていない状況。月参り、法事のお勤めをすることができた。
お参りの先々では台風の話題。「心配ですね。気をつけましょう。備えましょう」と。

午後は、災害対策をしながら、いくつか事務仕事。
スマホなどの充電ができるように、ポータブルの充電器、ランタンなどの明かり、食料と水などを買い足す。

JRも計画運休を発表。出講予定であった中央仏教学院の講義は、すでに休講となることがきまった。

台風情報をみながら更けていく夜。


2022年9月20日火曜日

9月18日(日)お参りとミーティングと昔の写真と

 おてらのそうじ(https://ryogo1977.blogspot.com/2022/09/918.html)のあとは、月参り。

 午後からは、すこしだけ台風対策の作業。14時からオンラインにて、インクルーシブ教育に関する会のMTG。(内容はまだナイショ)

 夕刻、住職継職奉告法要(11月予定)に際して、お寺の歴史を記念誌にまとめたり、アーカイブしたいと思っていて、それに関する作業を進める。

 手始めに、35年ほどまえに行われた本堂の屋根の葺き替え・修復工事の際の写真をデータ化した。(一部を下に転載しておく)

 整理・アーカイブして、まとめて公開できるようになったらいいなぁ。








9月18日(日)おてらのそうじ 

9月18日日曜日。台風が近づいてきている。

◎おてらのそうじ

 朝7時15分から、月に一度の「おてらのそうじ」の実施日。
 この日は、ひさしぶりに「いいだしっぺ」(おてらのそうじをやろうと言い出した人)のYさんが、福島から帰ってきており、久しぶりの再会。 


 おてらのそうじのメニューは、
 ・短いおつとめ(読経)
 ・体操、ストレッチしながら自己紹介
 ・おそうじ
 ・かんたんなごはん(この日は、感染に気を付けながらおにぎりをつくって食べました)
 ・適宜解散、退出
といったところ。

 台風前で天候が心配されていたこともあって、「そんなに参加者もいないかなー」と思っていたところ、13名くらいになってしまった。ご飯は6合しか炊いてなかったので、急遽追加で4合炊いた。汗
 
 「台風がくるから、ギンナン(イチョウの実)を拾ってもらうだけでいいですよ」、といっていたのだけれど、小学生のM君が、ほうきで落ち葉を集めてくれて、結局しっかり掃き掃除もしてくれた。ありがたいやら、もうしわけないやら。
 

 ちょうど 涼しい風も 通っていて、本堂のわきの座敷がとてもきもちよい。
 「ずっとすわってのんびりしていたい」という声もあるのもよくわかる。
  


9:00頃に解散。中平も後ろ髪をひかれながら、お参りへ。



9月17日(土)神戸別院「兵庫教区仏教婦人会連盟 若婦人のつどい」に出講するなど

9月17日土曜日。

午前中は月参り。
12時準備を整えて移動。13時前に神戸別院へ。
オンラインで行われる「兵庫教区仏教婦人会連盟 若婦人のつどい」という研修会に出講。
コロナ対応のために、兵庫教区独自の取り組みとして、事前に研修動画を撮影し、その動画を利用したオンライン研修するという企画。

企画と打ち合わせは、昨年から継続的に行ってきた。数回の打ち合わせ、会議を経て、1月に動画を撮影。私の他に2名、合計3名の先生が2本ずつテーマを担当して、質問に答える形でお話する動画を撮影した。

中平の担当は、
 ・「浄土真宗で、「バチがあたる」とはいわないのか?」と、
 ・「法事は何回忌までおつとめするものですか?」という質問に答えるお話。

13:30~15:30までの研修。開会式のあと、アイスブレイク、動画視聴、感想共有、講師からのコメントや質疑応答。 それを2セット、動画2本分行うという形。

 特筆すべきは、司会進行をされていた教務所(神戸別院)の担当の職員さん(女性)の進行や話しかけ方がとてもよかったように思う。堅苦しい感じになりがちな研修会を、なごやかに、フレンドリーに楽しく進行されていたこと。なかなか、そういうことが難しい組織の中にあって、これはなかなかできることではない。
こういう感じで組織づくりや、メンバーシップを高めていってもらえたらうれしいなぁと思えるような運営をされていた。近くで触れられてよかった。

どうしても裏方仕事になってしまうものだけれども、実務や実際は事務局が支えて運営されているということが多い中で、やはり事務局次第で、組織の雰囲気やモチベーションというものは変わっていってしまう。事務局の仕事ぶりの大切さというものを改めて感じる。

 こういう積み重ねがあったからか、会自体もオンラインながら和やかに、2時間という長丁場を楽しさや和やかさを感じる雰囲気で過ごされていたように思う。(私の勘違いでなければうれしい)

(こんな感じで、とてもがっちりとした配信体制を構築されていました。)

オンラインで、友だちに語りかけるようにフレンドリーな職員さん

 終了後、帰宅。
 神戸別院までの移動はJRを利用して往復したが、徒歩の移動も楽しい。
 面白そうな商店街や、小さいながらとてもおいしそうなお店も、移動中に見つけた。
 また、足を運んでみたいと思う。

 

9月16日(金)お参りとデスクワーク

9月16日金曜日。
午前中月参り。午後はデスクワーク。
コロナ対策など諸々の対応があり、早めに切り上げて家事をする。

以上


2022年9月19日月曜日

9月15日(木)後期の大学講義がはじまりはじめる

 9月15日(木)。

 午前、月参り。お昼過ぎから、ご葬儀のお勤め。
 葬儀から戻ると、仏壇屋さんのHさんが、継職法要に際して注文した「幕」の校正をもって訪問。打ち合わせを行い、移動。
 

 16:40~相愛大学で講義。「真宗伝道演習」。2020年から担当し、3年目の講義。
 設定自体は、本願寺派の僧侶資格に関する講義として設定されているが、これまでの実績としては、留学生や他専攻の学生さんが多く、基礎的・基本的な内容を扱う形でやってきた。特徴的なところは、「講義」ではなく、演習の名に添えるように「対話型」で進めることを基本にしてきたところ。

 今年度はどうか。5名が登録し、5名全員出席してくれていた。第一回目は、自己紹介とオリエンテーションがメイン。受講生のみなさんの話を聞いてみると、お寺出身で、僧侶という進路を志望している学生さんは1名。それ以外の4名は、日本文学やサブカルチャー専攻の学生さんで、1~2年時の必修の講義で中平の講義をうけて選択してくれたという学生さんも。(これは講義担当者としてはうれしい話)

 受講生の構成や関心―いわゆる座組もわかったので、また来週以降どういうふうに講義を進めていくか考えよう。(それも楽しみ)。

 講義終了後、相愛大学のS先生にご挨拶。ご著書もいただいており、おくればせながら、そのお礼を申し上げる。

 そのあと、伝道院に移動。木曜夜に実施される「夜座」(https://sites.google.com/view/dendoin-yoruza)にお参り。この日20名以上のお参り。ちゃんとした法座であり、かつ伝道院生のみなさんの濃密な実習時間にもなっているというのがありがたい。

 法座なので、この夜は「お供え」を持参した。
 「ほとけさまにお供えされたものを頂戴する」ことを改めて思いを向けてみたいと思った。(僧侶に向けられたものではなく、仏法に、仏さまに向けられたものを頂戴しているというところに、変えがたいありがたさがあるようにあらためておもった)

 夜座の後、帰宅。
 あれこれあった一日が終わる。インプットがあまりできずに、目の前の予定を何とかこなす日が続く。これはなんとかしたい。


 

9月14日(水) 大阪教区婦人会連盟(浄土真宗本願寺派)の研修会に出講

 9月14日水曜日、はれ。
 午前9:00~12:00前、いつものように月参り。
 午後からは、津村別院で開催の「大阪教区婦人会連盟研修会 全体研修会」に出講。 
 これまでに、数回打ち合わせを重ねて、主催・企画側の意図として「不安」をテーマに開催したいという意向を受けての講演。
 
 不安にどのように処したらよいのか、というようなことをお題として頂戴したのだが、これがなかなか難しい。

 不安を超克していくのが浄土真宗ではないですよ。不安を抱え、煩悩を抱え、自分の心を整えるどころか、ずっとその心に振り回されながら、思い通りになることができずに生きていく私を引き受けてくださるのが念仏であり、阿弥陀如来なのですよというようなことを柱にして、研修会のお話とさせてもらった。

 ちょっと硬めに書くと下のような感じ。(補足:研修会では例話も入れたりして、もうちょっと柔らかく、まろやかな感じでお話しましたよ)

◎不安は消えない。

 浄土真宗の念仏とは、「不安」を消すもの、「不安」を解消するものではないのだろうとおもっている。そして、どうしようもない「不安」を抱える我々は、思い通りにならない心を抱えている存在であるということは、臨終の瞬間まで変わることはないのだろう。

 「不安を消そう」「不安を消す手段を手に入れよう」と親鸞聖人や浄土真宗の教えに対して問いを立てることは、その問い自体が間違っている可能性を考えなければいけないと思っている。

 例えば「臨終まで、思い通りにならない心を抱えているのだ」といわれているのに、問いが間違っていると「そうか、そう受け止めたら、心が穏やかになるのですね」と、聖教(仏教の書物)が言わんとしていることと、全くずれた受け止めをしてしまうケースが発生する。「穏やかになれない」といわれているのに、「穏やかになれないと受け止めたら、心が穏やかになるのですね」と訳の分からないバイアスをかけてきいてしまっているということがないだろうか?


◎法然上人と明遍僧都の問答

 法然上人のことばを伝える『和語灯録』という書物に、法然上人と、門弟で高野聖でもあった明遍僧都との面白いやりとりがあったので、今回の資料に掲載して紹介した。
 もう、これがすべてではないかと思う。

 誤訳してしまっているところもあるかもしれないが、個人的には以下のように訳を試みてみた。(もしお気づきのところがあれば、優しく教えていただきたい)

【訳】
 明遍僧都が(法然聖人に)質問をして言われました。「末代悪世のわたしたちのような罪・濁りを抱えた凡夫は、どのようにしてこの迷いの生死を離れて行ったらよいのでしょうか?」
それに対して法然聖人が答えておっしゃいました。「南無阿弥陀仏と申して、極楽浄土にうまれていくことを願うことのみが、なすことと存じます」
明遍僧都がいわれました「それは、往生の方法としてそのようになすべきかと考えております。それによって、間違いなく往生がさだまるように(念仏)を申しております。しかし、念仏を申してはおりますが、心が散乱して散り乱れてしまうのを、どのようにしたらいいでしょうか」
法然聖人が答えていわれました。「それは私・源空もちからおよばないことです」
明遍僧都が言われました。「さて、それをいったい、どのようにしたらいいのでしょうか」
法然聖人が言われました。「心が散り乱れても、名(南無阿弥陀仏)を称すれば、仏さまの本願力に乗じて往生するのであると心得ております。ただ、要となるところは、おおらかにお念仏を申すのが第一のことなのであります」
明遍僧都がいわれました。「そのとおりです。そのとおりです。これをうけたまわりにやってまいりました」こののちに、少しのことばもなく、明遍僧都は退出していきました)

法然聖人は、明遍僧都が退出した後、その場にいたひじりたちに言われました。「欲界散地に生まれたものは、みな散り乱れた心を持っている。たとえば、それは人として生まれれば、目や鼻が備わっているようなものである。(そのような者たちに対して)散漫な心を捨てて往生しなさいというようなことは、その道理としてよいわけがない。(無理である)」。散漫な心を持ちながら念仏する者が往生するというのが、すばらしい・めでたき本願なのである。この明遍僧都の言われる「念仏を申していても心が散り乱れてしまうのをどのようにしたらよいだろうか」という不審におもわれたことは、いわれていないことです(問題にされていないことです)。

ダイジェストはここの部分だろう。
念仏を申してはおりますが、心が散乱して散り乱れてしまうのを、どのようにしたらいいでしょうか」
法然聖人が答えていわれました。「それは私・源空もちからおよばないことです」
明遍僧都が言われました。「さて、それをいったい、どのようにしたらいいのでしょうか」
法然聖人が言われました。「心が散り乱れても、名(南無阿弥陀仏)を称すれば、仏さまの本願力に乗じて往生するのであると心得ております。ただ、要となるところは、おおらかにお念仏を申すのが第一のことなのであります」
明遍僧都がいわれました。「そのとおりです。そのとおりです。これをうけたまわりにやってまいりました」

 散乱した心、散り乱れた心をなんとかするのではなく、それを問題にしない救いがあるということ。そういうところに、真宗、そして浄土教の 自らの心との向き合いがあるように思われる。

 もうすこし言葉を重ねて言えば、「心頭滅却すれば火もまた涼し」とか、「平然と生きる」とか、「泰然自若」、あるいは「不動心」といった、確固として不安を超克した心を修行によって成就していく、不安を超克していくのではない。不安や、あるいはむさぼり・いかり・はらだち・妬みといった、どうにもならない自己の心情を抱えていることを、(普段、自身では見ないように、あるいはそのようなものなど持ち合わせていないように思っているそれらを)念仏の中で、仏教との向き合いのなかで知らされていく、「照らされていく」そういった仏教なのだろう。



 研修会を終えて、お寺に戻る。
 御門徒さんのお通夜のお勤めに。急なご往生でもあり、ご家族の悲しみにふれるお通夜でもあった。現職の方でもあったので、職場の同僚方も参列され、涙される声が左右から聞こえるお式だった。
  


2022年9月18日日曜日

「そろそろこれからの「葬儀」の話をしよう」 いただいた感想

「9月13日(火)そろそろこれからの「葬儀」の話をしよう を開催」に投稿した、イベントにいただいた感想と、ご協力いただいた寄付金について、記載しています。

登壇してくださった池邊さんのnote


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Rさん

中平さん、今日は良い時間をありがとうございます

葬儀について、あまり経験がない身ながら「慣習だから通夜と葬式を決まった形で執り行わないといけない」「お布施は高いのが当たり前(深く考えず思考停止して)支払うもの」「喪主は仕方なくなるもの、受け身で辛そうだ」という印象があり疑問を持っていましたがそもそも葬儀のあれこれは故人に思いを馳せたり、残された人がゆっくり死と向き合うためのプロセスで、読経も祭壇も、これまで人類(日本人?)が弔うために必要だとして大切にしてきたものだ、と感じられたことがとても大きいなと..

また、ゆっくり今日のお話を咀嚼してみようと思います

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Oさん

先日「そろそそ、これからの「葬儀」についての話をしよう」に参加させていただきました、Oです。とってもおもしろいイベントでした!

葬儀について、いろんなお話を伺えたこともためになりましたが、なにより、葬儀を通して、死や、宗教について、みなさんと熱~く語り合えたことが、なによりの成果でした。

なかなかこんな話をする機会も、できる場もないけれど、やっぱりみんなとても関心があって、しかもいろいろ考察してらっしゃるんだと知れたことがうれしかったです♪

すばらしい機会をありがとうございました!(^-^)

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【報告】当日ご寄付・協賛いただきました。これらは、このイベントの運営費に充当させていただきます。

 総額:15,600円

  ・当日受付のお布施・寄付・募金 8,600円
  ・ピーティックス経由の寄付  7,000円

 ご協力誠にありがとうございました。

 また、以下の口座にご寄付いただきましたお金は、西正寺の社会活動(イベントや寄付、その他地域・社会に関わる活動経費)に充させていだきます。

ゆうちょ銀行 記号14320 番号96919481 名義 西正寺(サイショウジ)
(他金融機関からの場合は、ゆうちょ銀行  四三八支店 口座9691948)




9月13日(火)そろそろこれからの「葬儀」の話をしよう を開催

9月13日火曜日、快晴。

午前、月参り4軒ほど。1軒のおうちから、いわゆる「墓じまい」の相談。
戦死された「兵隊さんのお墓」が家のお墓のとなりにあり、それを近々に閉じるご相談をしたいという。お子さんが結婚され、苗字が変わった娘さんお二人ということもあり、おうちのお墓に先行して、「兵隊さんのお墓」の墓じまいをしたいというご希望。

 その場で、お世話になっている石材店を紹介して、まずは相談からという形でおつなぎする。お墓のご相談は、肌感覚として、やはり多くなってきていることを感じる。

 お参りを終えたあと、午前中は諸連絡、デスクワーク。午後も引き続き、事務作業と、建築物に関する某NPO関係者と面会・相談、翌日の講演準備。

 19:00から、「そろそろこれからの「葬儀」の話をしよう」を開催。 


先日投稿していた紹介記事 https://ryogo1977.blogspot.com/2022/08/913.html

18:00前から会場(本堂)の設営。池邊さんも到着。18:30ごろから、お越しくださった参加者のみなさんとゆるゆるとおしゃべりをしながら開会時間を待つ。開始前からよい時間。

19:00開会。参加者は11名。
参加者のみなさんに、葬儀についての経験や思いをグループで話してもらい、それを共有してから、池邊さんからのお話。
テーマである、喪主・遺族としての葬儀ということで、喪主はいったいどんな状況に置かれているのか、何を決めなければいけないのか、どんな準備をしておけばいいのかといったことから、アンケート結果から喪主が「知っておけばよかったこと」「後悔していること」等実用的なお話を通しながら、葬儀の本質や、遺族としての思い、気持ちに生じていくことにも迫っていくようなレクチャーをしてもらった。

 休憩をはさんで、参加者のみなさんのコメントや質問を受けてのトークセッション。


 葬儀の本質とはなんなのだろうか。一言ではいけないこと、一様ではないことが葬儀では起こっている。価格や形式といった実務的なことから、デス・エデュケーションという面、グリーフケアという面からも、問いを投げかけるような時間が続いた。 

 葬儀が健康保険やさまざまな諸制度の中で「保障」されていることからすれば、自身の最後や、家族をちゃんとした形で送っていくこと、すなわち葬儀をすることは、社会保障の一部として組み込まれているものであるということ、すなわちある種の「権利」であり、また「福祉」的なものであるという側面があることもあらためて考えさせられた。


 単に形式的なもので、高いお金がかかって、やる必要があるのかどうかわからない、というような疑問が呈されるということは、葬儀がちゃんとした葬儀として行われていないということの反映なのだろうとも思う。

 

 会は一応21時になったところで、いったんのクロージングをして、延長でお話したい人だけ残るという形式をとったのだが、ほとんど人が延長の予定時間を超えて22:00を過ぎてもまだ話が尽きないという感じだった。



 この葬儀というテーマは、話始めてみると気づく事、思いいたることが次から次に出てきて、予想以上に論点や視点が広がっていく感覚が生じるのだろう。 参加者のみなさんからも「いままでちゃんと考えてこなかったけれど、大事なことだとおもった」という感想もいただいた。

 話が尽きなかったので、またこの会は開催したいと思う。

 終了後、個人的に何人かの方が感想・フィードバックを送ってくださった。せっかくなので、ここに紹介させていただく了承をもらった。

   感想はこちら ⇒ 「そろそろこれからの「葬儀」の話をしよう」 いただいた感想
   https://ryogo1977.blogspot.com/2022/09/blog-post.html



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【報告】当日ご寄付・協賛いただきました。これらは、このイベントの運営費に充当させていただきます。

 総額:15,600円

  ・当日受付のお布施・寄付・募金 8,600円
  ・ピーティックス経由の寄付  7,000円

 ご協力誠にありがとうございました。

 また、以下の口座にご寄付いただきましたお金は、西正寺の社会活動(イベントや寄付、その他地域・社会に関わる活動経費)に充させていだきます。

ゆうちょ銀行 記号14320 番号96919481 名義 西正寺(サイショウジ)
(他金融機関からの場合は、ゆうちょ銀行  四三八支店 口座9691948)



 

2022年9月12日月曜日

9月12日(月)島下組(しましもそ)仏教婦人会連盟研修会に。

 9月12日月曜日。快晴。

 午後から、大阪教区島下組仏教婦人会連盟研修会に出講させていただく。
 この研修会は、津村別院経由でいただいたお話で、もともとは2月に予定されていたものが、コロナの都合で延期になり、本日の開催。コロナの影響で、午前・午後の二部制になり、参加人数も調整されての開催。

 午前は、デスクワークと内容の確認等。
 12時過ぎ、荷物を車に積んで移動。(プロジェクターとスクリーンも持参するケース)
 会場は、吹田市の西福寺さま。中央仏教学院のK先生がご住職をお務めのご寺院。
 13時前。会場着。プロジェクターなどの設営を行い、待機。その間に、喚鐘を拝見。
 

 江戸期(延享年間)の喚鐘で、尼僧の供養のために、何人かの方たちによって寄進されたもののよう。銘文(陰刻)で独特のものがあり、拝見して楽しい。堪能した。
 (滋賀県の梵音具調査に携わったことがあり、喚鐘・梵鐘の類を拝見するのを趣味にしてる)


 14時開始。15時30分までの研修。SDGsがテーマ。
 とはいえ、1時間で、SDGsについて、網羅的に話すことは難しいので、概略をお話したあと、皆さんで考えたり、想像してもらう時間(ワーク)も取りながら過ごさせてもらった。


 身近に実践できるようなことを考えたいという要望もあったので、一杯のお茶碗のごはん
から、普段考えていることはどのようなことか、環境も含めて考えてみるとどうなるか?というような問いかけをさせてもらうような時間をもって過ごしてみた。
 
 やはり、普段お米を買うときは(私もそうなのだが)「いくらかな?」「おいしいかな?」「銘柄はなにがいいかな?」というようなことばかりを考えてしまう。 ところが「環境に配慮するには?」と考えてみると、炊き方、研ぎ方、お米の作られ方、運ばれ方…様々なところで、環境や他者と結びついているものが見えてくるようになる。
 そのほか、トウモロコシやバナナ、手のなかにあるスマホも、それを通して世界の状況や、さまざまな課題と結びついているというようなことを一緒に考えさせてもらうような時間を持った。
 「考えさせられる時間でした」というフィードバックをいただけて、一定お役目を果たせたのではないかと思う。 あとは、ちょっと調子にのって、いただいた時間一杯一杯を使ってしまった。(この辺りはごめんなさい)

 夕刻にお寺に戻り、デスクワークや、明後日の出講の準備など。

 明日、13日は、夜に「そろそろこれからの「葬儀」の話をしよう」を開催予定。


 ・(西正寺ホームページ)http://saishoji.net/archives/767
 ・(ぶつぶついうねん) https://ryogo1977.blogspot.com/2022/08/913.html
   ※開催の経緯や、池邊さんとのつながりについても言及。

こちらもどうぞよろしくお願いします。


【追記】
 夕刻、お寺にもどると、ご門徒のご葬儀の連絡が入っていた。急なご往生のお知らせで驚く。ご家族のお気持ちを思うと、言葉をなくしてしまう。



2022年9月10日土曜日

9月6日(火)ご葬儀のおつとめと出講の準備など

 9月6日(火)はれ、夕刻から雨。

 午前はいつもどおりお参り。12時からご葬儀のおつとめ。(昨夕はお通夜であった)
 すこし遠方にお住まいだったけれど、車でよくお寺・お墓にお参りに来てくださった故人。配偶者・お子様はいらっしゃらず、ご兄弟がお送りのご葬儀。
 喪主である弟さん、ご兄弟をお互いに送りあうという思いについてお話くださる。


 最近はつとにさまざまな形のご葬儀、お送りに合わせていただく。同時にさまざまな悩みや心配のお話をうかがう。 葬儀を担ってくださる親族がいないというケース。墓じまいやお仏壇の始末を考えなければいけないというお悩み。 お寺としてなんとかお応えしていきたいというような思いもありつつ、無責任に請け負うこともできないところもあり、いい形を考えねばと思いつつ、「思い」から次のステップに動けずにすぎてしまっているところ。うむむ。

 合間の時間に。事務作業や出講の準備などをする。夕刻、葬儀後の還骨・初七日のおつとめに向かう。


 


2022年9月6日火曜日

9月5日(月)NPO法人ReBitの中島さんが来訪

 9月5日月曜日。晴れ。
 午前中はお参り。月参りの他、お別れのおつとめ。
 先日電話をいただいて、初めてお参りするおうち。 亡くなられたあと、検査でコロナ陽性が判明したため、ご葬儀ができずにいて、本日おつとめさせていただくことになった。
 ご自宅で、お骨が安置された祭壇を前に、ご葬儀に近い形でおつとめさせていただいた。

 おつとめのあと、白骨の御文章を拝読し、すこし御法話。その後、おうちの方とお話をする。コロナで本来すべきはずとおもっていたご葬儀ができなかったことの思いや、こうやって改めておつとめできたことの安心感、それから故人に対する思いやみとりのことなどをお伺いする。
 
 いろいろなお気持ちをうかがえたこと。ご葬儀に大きな意味を見出してくださったおかげで、ご家族にも納得いただける、いい形のおつとめをご一緒にさせていただけたのではないかと思えるような時間だった。

◎中島さんの来訪

 午後、面会の約束をしていた NPO法人ReBit(https://rebitlgbt.org/)の中島潤さんが西正寺に来訪。
 
 

 以前より、親しくさせていただいている尼崎出身で、東京のH大学で教員をされているI.Nさんの紹介で、関西出張に来られるタイミングでお目にかかることに。

 ReBitさんの活動は、以前からお耳にしていたし、教材も買わせて頂いたりしたこともあった。改めて今回最近の活動や課題についてお話や、いろいろな雑談をさせていただいた。

 西正寺でしばらくお話した後、市内某所へご案内する。



 ReBitさんでは、現在無料でオンラインの「LGBTQ+キャリア相談」を一対一で受けられる機会を設定されているという。
 詳細は以下のサイトで。

 お話をさせていただいていると、感じることはビジネスやサービスとして、こういうコンテンツを出しているというよりも、相談や支援の活動中で感じたスキマやこぼれ落ちてしまっている人はいないかと、目配りしたさきに、あるいは相談を受け付ける中で聞こえた声に丁寧に向き合っていく中で、必要なこと、不足していることを手当てしていくうえで、広がってきている活動のように思われた。
 
 お土産にいただいたものが、このSHIBUYAクッキー。


 包装の裏に書いてあるのだが、用いられているフォントは障がいのある方が作ったもので、それを用いて収入になるような仕組みを作られているという。 まさかフォントにそういう可能性があるとは!という驚きとともに、いい仕組みだなぁと感心した次第。



渋谷のハチ公のクッキーが8個入り(大き目)ということで洒落が効いている。







9月3日(土)と4日(日)こと

 9月3日土曜日。はれ。

 午前、いつも通り、月参り。写真は、お参り先のマンションの廊下から六甲山の方向を望んだもの。とても気持ちよいお天気。

 午後、事務仕事、デスクワーク。

9月4日日曜日、はれ。

7:00、毎週日曜日の朝のおつとめ。2名の方と一緒に「正信念仏偈」のおつとめ。(西正寺のFacebookページでライブ配信しています。)

午前中は、いつもどおり月参り。(この日は法事などはなく、穏やかな日曜日)
午後から、オンラインのセミナーに参加。話題の某教団のカルト性や、社会的な問題についてがテーマの会。

3日、4日とインド学仏教学会の学会大会があったが、オンライン参加申し込みをしそびれて、参加できずに過ごす。残念。


 

 

9月2日(金)お墓のおつとめ・サマセミのアンケート入力作業

(西正寺にある合同墓のようす)

9月2日(金)晴れ。
 午前中のお参りに、お墓でのおつとめがあった。お墓を撤去されるので、その工事の前にお墓の改築に際しておつとめ。
 西正寺境内にある、とあるお墓。ご両親が亡くなられ、娘さんは結婚され別の名字になっていらっしゃる。またお孫さんたちは結婚され、また別のお名前にというように、あとを継がれる方がいらっしゃらなくなるような状況で、いわゆる「墓じまい」をなさるわけである。収められていたお骨は、西正寺の「合同墓」(上の写真)にあらためて納骨される。

 西正寺では、2018年に合同墓を建立し、ご縁の方の納骨をしていただけるようにしている。 
(2018年11月30日 西正寺合同墓 建碑記念法要のようす)

  この日のおつとめのあと、おうちの方とお話している中で伺ったこと。
「お寺で合同墓をつくってもらえて、本当によかった。」「墓じまいをする踏ん切りがつけられた。」「お寺でこうやってお参りしてもらえるから安心」等。
 このようなお声がいただけるのはありがたいこと。お寺のとりくみが、いろいろな安心につながっていると聞かせてもらえるのは本当にうれしい。
 
 実際にここ数年、いわゆる「墓じまい」の相談やおつとめは多い。
 石のお墓を持つということが、多くの人には難しい社会・暮らしになっているのだろう。
ずっと代々一か所に定住する形が主な形ではなくなってきたこと。これから人口が減っていくとともに、いわゆる「家」や、家名を存続していくことが難しくなるおうちも増えてくるのは必然となっている。お墓のかたちも、葬送の形もかわっていくことは、同じく必然なのだろう。
 すべてに対応することは難しいけれども、ちゃんと丁寧に向き合える準備をしていきたい。
 (お寺の境内にある柿の木。実が少しづつ色づき始めている)

◎みんなのサマーセミナー実行委員会 ・ サマセミアンケートの入力
 18:00。みんなのサマーセミナー実行委員会の活動。 立花南生涯学習プラザに集合して、サマセミのアンケート入力と、感謝祭開催の準備作業。みんなそれぞれ仕事終わりなどに、順次集まってきて、わいわいといいながら、アンケートの入力など作業を行う。

 雑談や、世間話もしながら(というか、それが大半)、あーだ、こーだいいながら作業。
 3時間くらいかかるかもーと言っていた作業が、人手が多かったこともあって1時間ほどで終了。
 
 面倒な作業もみんなで集まってやると楽しい。
 サマセミの実行委員会では、そういう一般的には面倒で人手がいる作業を「祭り」と称して、わいわいいいながらやってしまう空気がある。これもまた楽しい。


(子どものように、紙飛行機を飛ばして喜んでいる人がいる。笑)



2022年9月3日土曜日

9月1日(木)伝道院の夜座を開催する イベントから「営み」へ というテーマ

 この記事は、こちら投稿の続きです。
 (https://ryogo1977.blogspot.com/2022/09/91.html) 

 上に書いた講義を終えた後は、伝道院のお夕事(ゆうがたのおつとめ)に参加し、オンラインでの打ち合わせを1本。そのあと19時から、先週に引き続いて、伝道院の「夜座」(よるざ)が開催された。

 夜座については、これまで以下の投稿で触れてきた通り。

 ・8月23日(火)「法座を開く」というカリキュラムについて

 ・8月25日(木)布教使はお聴聞の方に育てられている…のだと思っている

 前回(8/25)は、プレオープン的な形になってしまい、正式には今夜(9/1)が一回目。
 伝道院の正面玄関を開け、外部からお越しいただける方をお出迎え。伝道院内に入ることができるというだけでも、実は貴重な機会でもある。
 

 この日は、14名ほど(目算)の方がお越しいただけた。前回から引き続きお越しくださった方、情報を見て足を運んでくださった方、龍谷大学の学生さんらしき方、布教使関係の方もいらっしゃった。個人的にお久しぶりの方にもお会いできたといううれしいこともあった。

 先週同様、受講生の法話は、やはり緊張を感じながらだけれども、伝わる言葉で丁寧にお話されていたという印象。回数が浅い回だけあって、新奇性や物珍しさが参加者の中にも感じられる。

 

 終わった後、受講生のみなさんと共有させてもらった課題感は、これをイベント事からどのように「営み」へと進めていくかということを考えているという視点。

 基本的に「個人的所感」ではあるけれども、やはり新奇性やものめずらしさで、最初のうちは足を運んでもらいやすいのだろうとおもう。しかし、何があるかということがわかると、主催者側は(こうやっておけばいいのだという)「安心」が積みあがってくるがそれは、参加者側からすると(なにがおこるかだいたいわかっているからという)足離れにつながってくるのかもしれない。

 定期的な法座にお参りをする、仏さまにお参りをするというのは、イベントというより「営み(いとなみ)」といった方がいいのではないかと思っている。同じことが同じように行われる法座に足を運ぶ営みの場へと進んで行くという選択肢もあるようにおもう。個人的にはそちらのほうが、この場としては望ましいように思っている。

 それはある意味で、新奇性のあるイベントから、日々のあるいは定期的なあたりまえの営みへの「昇華」ともいえるのではないかとも思っている。


 ともかく、この回も「法座」であり、いい時間を参加者のみなさんと過ごさせてもらった。ありがとうございます。

 

 京都から車で帰宅。22:00に名神高速道路が工事で通行止めになったのにぶちあたってしまって、とろとろと下道(国道171経由)で帰宅。 折からの大雨にも見舞われつつ帰宅。



9月1日(木)伝道院で陸奥賢(むつ・さとし)さんの講義を開催する

 9月1日(木)。晴れのち にわか雨 のち豪雨に出くわす日。


 人間ドックの翌日。朝起きた直後から、受診後に口頭で受けた結果が頭のなかに意識されている。「身や内臓についた脂肪を減らせるように生活しよう」とか「来年はいい結果を出そう」とか思ってしまっている。レコーディングダイエット等が効果的なように、健康診断が健康に対する意識を向上させている。(後日、当日はまだ結果が出ていなかった受診結果も含めた詳細な報告書が送られてくる予定)

 とりあえず、背筋を伸ばして、姿勢よくすることを心掛けるところからはじめよう。

 さて、9月1日。上のように思ったのは、8月が終わり、9月という新しい1か月が始まったということに由来するかもしれない。

 午前中は、月参り。午後~夜まで伝道院に出講というスケジュール。

◎陸奥賢(むつ・さとし)さんという人

 この日の伝道院の午後の講座は、「鬼才」と評せられもする陸奥賢(むつ・さとし)さんhttp://mutsu-satoshi.com/profile/をお迎えしてお話を伺う日。中平は聞き手・コーディネート的に参加。

 陸奥さんは、大阪・浄土宗の応典院https://www.outenin.com/さんとの関係が深く、私も応典院に足を運ばせていただく中で面識・知遇を得た。陸奥さんが応典院ではじめて実施され、もっとも有名になっているコンテンツが「まわしよみ新聞http://www.mawashiyomishinbun.info/だろう。全国の各地の自治体・学校、さまざまなイベントで実施されている。(読売教育賞 NIE部門最優秀賞受賞。三省堂高校国語教科書『明解国語総合』(平成29年度版)採択。という成果も得られている)。

 詳細は上記の陸奥さんのホームページなどで見てほしい。このほか、「直観讀みブックマーカー」や当事者研究スゴロク」、歌垣風呂」「大阪七墓巡り復活プロジェクトなどさまざまな興味深い取り組みを主宰されている。

 肩書は、「観光家/コモンズ・デザイナー/社会実験者」…。正直、何一つとして、明確にわかるものがない…何者!?(笑)

 しかし、今回本願寺派が陸奥さんをお招きするということで、感嘆の声が他派さんの僧侶方一部から上がったという声を聞いた。(笑)



◎伝道院での講義とは?

 陸奥さんとの講義、今回は3時間という枠を、3コマに区切るようなイメージで構成していただいた。
 1:講義の概要と、陸奥イベントの体験(直観読みブックマーカー)
 2:陸奥さんの実施されるイベントのあれこれと面白さ
 3:陸奥さんの宗教的なバックグラウンドとは?
というような構成。

 今回陸奥さんに担当いただいたテーマは「法座をひらこう」という、お寺での新しい法座・企画を創発していこうというプログラムに関するもの。人のつながりや、イベントを実施する際の実例として陸奥さんの知見をお話していただいた。

 陸奥さんからお話をいただくなかで、キーワードであったものが「出遇う」「偶然性」。意図せざる出あいや、他者性との出あいというものだろうか。場のなかに、コントロールできない偶然性が織り込まれ、もたらされるようなデザインともいえるかもしれない。

 法座やイベントを実施すると、ついつい主宰する側が望む結末や、参加者の変化ということを求めてしまいがちなところがある。しかし、陸奥さんのデザインするコンテンツは、そういうものからいかに距離をとるか、というところに腐心されているかのように思われる。

 目を閉じて、本に祈り、適当に開いて指さしたところにかかれている言葉に答えを求める(直観読みブックマーカー)とか。そもそもの著者・本の意図さえも無視した文脈に、人も書物も置きなおし、その場限りの読み方・言葉を立ち上がらせる。何が起こるか、やっていみないとわからないこと、この上ない。

 婚活的なイベント「歌垣風呂」は、個人的にはこの上ない最高の仕掛けがそなわった婚活イベントだと思っている。男女のお風呂を隔てる壁によって、視覚による情報(見てくれ)を排除して、「短歌を詠む」という声と言葉選びのセンスのみをたよりにマッチングするということによって、普段は「対象外」の出あうはずのない人とマッチングさせられる。
 また、主催者もその場にいかないとわかりえない、言葉や視座、出会いの偶然性に身をさらすことになる。

 自分自身もそういう限界と反省を抱えながらという上でいえば、講義や講座、法座という取り組みをする中で、そういった主宰者性(場を手のなかに収めたいという欲求)をもって、場や参加者、イベントの結果を当初設定のゴールに持ち込むことをよしとするようなありかたをしてしまっている場を反省している。それが望まれ、そのように行わざるを得ない状況もあるけれども、そういった場の息苦しさや限界も時に感じてしまっている。

 場にゆだねること、偶然性に身をさらすことで、主宰者、講師と位置づけられる側の人間もその場によって変化させられ、学び・気づかされるという成果を手にできるような気がしている。

 イベントや行事ごとといえば、参加者や売り上げといった数値的な、すぐにわかりやすいところで成否が語られ、注目があつまるところがあるが、本質的にはそこで何が起こっているのか、どんなことがおこったのかということを見ていく必要があると思っている。それはある意味で、見る目を持った人にしか見えないものであるかもしれないが、そういった視座をどこに置くのかということを考えさせられる投げかけをしていただけたように思う。

 最後の時間は、陸奥さんの宗教的バックグラウンドをうかがう。表層として立ち上がっている陸奥さんの企画の奥底には、陸奥さん自身の宗教に関する経験や、経歴と無関係ではないものがあり、必然としてそういう人格的な部分と取り組みが結びついているようなところをうかがった。非常にディープな、陸奥さんならではの経験と知見をお話いただいた。

  (ここまで書いて、もっと僕もこの講座に対して「偶然性」に身をさらしておけばよかった、さらすべきであったということ、そしてもうちょっと僕にコーディネート・聞き手としての力量があれば、と反省が生じている)


 

 講義の終了後、まわしよみ新聞が10周年を迎えた記念行事が行われるそうなのだが(祝!!!まわしよみ新聞創刊10周年記念イベント~それは應典院コモンズフェスタから産まれた!~)こちらに、ゲストでお招きいただくことになった。これは楽しみ。


 「夜座」へと続く(https://ryogo1977.blogspot.com/2022/09/9.html



2022年9月2日金曜日

8月31日(水)初めての人間ドックにいってきた。

 8月31日(水)お天気は晴れ。
 31日は月参りもなく、かねて予定していた「人間ドック」を受けに朝から、尼崎の新都心病院へ。

 研究所や大学で勤務していた時にはその所属先が定期の健康診断を受診していた。けれども、非常勤になり、またコロナで京都に足を運ばなくなると結局、健康診断をうけられないままに時が経ってしまった。3年ぶりの健康診断になるだろうか。40代も半ばを超えたこともあり、どこかおかしなところが出てきても不思議ではないということもあり、一度やってみたいと思っていた人間ドックをガッツリと申し込んでみた。

 お寺で加入している「協会けんぽ」の健康保険を用いた差額ドックが受診できることもあって、すこしお安く利用することができる。

 8:15から11:30頃まで、今まで受けたことのない検診も含めてがっつりと調べてもらった。エコーを使った検診、「胃カメラ」による検診も受けた。 

 胃カメラ、これがなかなかキツかった。予想したよりしんどかった。
 カメラが入ってくるタイミングで、のどに触ってえづきがあったり、鼻からカメラをいれたのだが、鼻の穴が大きくなかったこともあって、すこし鼻血を出したり。カメラできれいな胃が見えたということはあったが、身体的にはちょっときつさがあった。苦笑

 人間ドックを終えた後、杭瀬の市場へ。
 ハオチー食堂で昼食。ここにはコミュニティナースのしゃくさんがいる。人間ドックを受けた後、コミナスに話を聞いてもらうというのもオツなもの。

 昼食のあと、古書店・二号店の軒先で開かれていたスナックに、建築会社の社長さんといすを並べる。スナック菓子を片手に、おじさんの昔話を女子高生に聞いてもらう。わけわからん構図。  



 市場でおかず(お豆腐・唐揚げ等)を買い込んで、いったん帰宅。
 その後、事務仕事と、おさな子をこれまた健康診断に連れていくミッション(運転手)。

 

 



2022年9月1日木曜日

8月30日(火)カードゲームをする予定の講義だったのに、カードゲームを忘れて講義に行くという失態。

 8月30日火曜日、晴れ。
 午前中は月参り。いつもどおり、父の前住職と分担しておつとめ。

 午後から伝道院(布教使課程)に出講。この日は「法座をひらこう」(実例に学ぶ)という枠。先日の教義的なものではなく、実践的な内容。
 13:30~16:30の3時間。休憩をはさみながら3コマのイメージで、
 1:現代社会と宗教の関係(理論的・概念的側面として、世俗主義について講義する)
 2:現代の諸課題や解決の手がかり、それからお寺の活動のヒント・手がかりを学ぶワークショップとして、ATTF2というカードゲームをする
 3:中平がやってきた実例として、西正寺の活動を紹介する

という3本組のイメージ。

◎ATTF2


 2コマ目のカードゲーム、ATTF2とは、Amagasaki to the FutureⅡ(アマガサキ・トゥ・ザ・フューチャー2)のこと。尼崎市が、市制百周年の記念の一つとして制作した、まちをしり、まちの課題を考えるカードゲームで、行政だけでなく多くの市民と一緒に制作したもの。私もお声がけしてもらい、制作のワークショップなどに参加して、関わらせてもらった。

 詳しくは紹介記事などを見てもらおう。
 → みんなの尼崎大学 ATTF https://www.amanokuni.jp/ucma/attf/

 →(ATTF1)https://www.amanokuni.jp/ucma/attf/entry-461.html

 → 尼崎市公式ホームぺージ https://www.city.amagasaki.hyogo.jp/shisei/si_mirai/kyodo_sikumi/1016069.html

このATTF、いろいろなところでプレイしてもらっているが、とても汎用性が高くて、尼崎を知るだけではなく、お寺のとりくみや、地域一般・社会課題とどう向き合っていくのかとう手がかりを得ることもできるゲームだと思っている。
 実際に、担当している中央仏教学院(社会伝道論)や、園田学園女子大学の講義(つながりプロジェクト)でも活用し、学生さんたちにプレイしてもらっているが、いつも好感触。

◎ATTFを忘れてくる

 さて、そんなATTFをするぞと、思いながら、調子よく伝道院まで移動し、荷下ろしをしているところで気が付いた。ATTFのカードゲーム(4セット)を車に積んでいない!(汗)

 取りに帰る時間はない。2~3度見返すが、クルマにはやはり積んでいない…。比較的頭の中は冷静に「あー忘れたな」と。忘れ物やうっかりが多いことは自覚しているが、ふっと確認を漏らしたタイミングで、こういうことになる。つくづく自分がいやところだが、もう長年付き合っているので、「あー、やってしまったな」と自分に対するあきらめも処方出来ている。


 さて、どうするか。実際にプレイしてもらう楽しさは、また別の機会にカードゲームを持ってきてやるとして、イメージしてきた講義を組みなおさないといけない。
 ちょうど昨年、同様にATTFを講義でする予定だったところが、オンラインの講義になってしまって、オンラインでも疑似的にATTFが体験できるように、カードの画像を取り込んでプリント資料にしていたものがあった。それを、急遽資料として配布してもらい、カードとは少し違う体験になるが、そちらで 町のおたからや、町の人の声にふれてもらい、ゲームのエッセンスを感じてもらった。

 そういうオルタナティブな方法でも、グループごとに盛り上がってあれこれと解決策を出してくれていて、ATTFの面白さを改めて感じることだった。ATTFスゴイ!!(改めて、カード忘れてごめんなさい。ずっと反省しています)

 一方で、「ATTF忘れたどうする!?」という、問題にきっちり手持ちの材料から代替案が作成できたというのはこれこそATTFの精神ではないかと、ひとり振り返ったりもした。


 伝道院の講義終了後、伝道院のお夕事勤行にお参りして、帰宅。
 帰宅後確認すると、きっちりとイスの上に、紙袋に入ったATTFのセットが忘れられた状態で置かれていた。。。。涙
 荷造りをして、カバンから荷物を出し入れした最後にきっちりと、イスに一時おいたまま、クルマへと向かってしまっていたのだ。今回の失敗は忘れない。(またするかもしれないけれど、反省材料)

  



 翌日は人間ドックに行くため、所定の時間までに食事を終えて、就寝。



 



「宗教」・「カルト」を扱う講義をするので

今日の龍谷大学文学部で担当している「伝道学特殊講義」(学部3・4回生対象)は、講義で指定しているテキスト 『基礎ゼミ宗教学(第2版)』 。今回は、第9章の「カルト問題」にどう向き合うか?―カルト、偽装勧誘、マインド・コントロール」を扱う予定。  数年前に大阪大学が、大学としてのカ...