9月1日(木)。晴れのち にわか雨 のち豪雨に出くわす日。
人間ドックの翌日。朝起きた直後から、受診後に口頭で受けた結果が頭のなかに意識されている。「身や内臓についた脂肪を減らせるように生活しよう」とか「来年はいい結果を出そう」とか思ってしまっている。レコーディングダイエット等が効果的なように、健康診断が健康に対する意識を向上させている。(後日、当日はまだ結果が出ていなかった受診結果も含めた詳細な報告書が送られてくる予定)
とりあえず、背筋を伸ばして、姿勢よくすることを心掛けるところからはじめよう。
さて、9月1日。上のように思ったのは、8月が終わり、9月という新しい1か月が始まったということに由来するかもしれない。
午前中は、月参り。午後~夜まで伝道院に出講というスケジュール。
◎陸奥賢(むつ・さとし)さんという人
この日の伝道院の午後の講座は、「鬼才」と評せられもする陸奥賢(むつ・さとし)さん(http://mutsu-satoshi.com/profile/)をお迎えしてお話を伺う日。中平は聞き手・コーディネート的に参加。
陸奥さんは、大阪・浄土宗の応典院(https://www.outenin.com/)さんとの関係が深く、私も応典院に足を運ばせていただく中で面識・知遇を得た。陸奥さんが応典院ではじめて実施され、もっとも有名になっているコンテンツが「まわしよみ新聞(http://www.mawashiyomishinbun.info/)」だろう。全国の各地の自治体・学校、さまざまなイベントで実施されている。(読売教育賞 NIE部門最優秀賞受賞。三省堂高校国語教科書『明解国語総合』(平成29年度版)採択。という成果も得られている)。
詳細は上記の陸奥さんのホームページなどで見てほしい。このほか、「直観讀みブックマーカー」や「当事者研究スゴロク」、「歌垣風呂」「大阪七墓巡り復活プロジェクト」などさまざまな興味深い取り組みを主宰されている。
肩書は、「観光家/コモンズ・デザイナー/社会実験者」…。正直、何一つとして、明確にわかるものがない…何者!?(笑)
しかし、今回本願寺派が陸奥さんをお招きするということで、感嘆の声が他派さんの僧侶方一部から上がったという声を聞いた。(笑)
◎伝道院での講義とは?
陸奥さんとの講義、今回は3時間という枠を、3コマに区切るようなイメージで構成していただいた。
1:講義の概要と、陸奥イベントの体験(直観読みブックマーカー)
2:陸奥さんの実施されるイベントのあれこれと面白さ
3:陸奥さんの宗教的なバックグラウンドとは?
というような構成。
今回陸奥さんに担当いただいたテーマは「法座をひらこう」という、お寺での新しい法座・企画を創発していこうというプログラムに関するもの。人のつながりや、イベントを実施する際の実例として陸奥さんの知見をお話していただいた。
陸奥さんからお話をいただくなかで、キーワードであったものが「出遇う」「偶然性」。意図せざる出あいや、他者性との出あいというものだろうか。場のなかに、コントロールできない偶然性が織り込まれ、もたらされるようなデザインともいえるかもしれない。
法座やイベントを実施すると、ついつい主宰する側が望む結末や、参加者の変化ということを求めてしまいがちなところがある。しかし、陸奥さんのデザインするコンテンツは、そういうものからいかに距離をとるか、というところに腐心されているかのように思われる。
目を閉じて、本に祈り、適当に開いて指さしたところにかかれている言葉に答えを求める(直観読みブックマーカー)とか。そもそもの著者・本の意図さえも無視した文脈に、人も書物も置きなおし、その場限りの読み方・言葉を立ち上がらせる。何が起こるか、やっていみないとわからないこと、この上ない。
婚活的なイベント「歌垣風呂」は、個人的にはこの上ない最高の仕掛けがそなわった婚活イベントだと思っている。男女のお風呂を隔てる壁によって、視覚による情報(見てくれ)を排除して、「短歌を詠む」という声と言葉選びのセンスのみをたよりにマッチングするということによって、普段は「対象外」の出あうはずのない人とマッチングさせられる。
また、主催者もその場にいかないとわかりえない、言葉や視座、出会いの偶然性に身をさらすことになる。
自分自身もそういう限界と反省を抱えながらという上でいえば、講義や講座、法座という取り組みをする中で、そういった主宰者性(場を手のなかに収めたいという欲求)をもって、場や参加者、イベントの結果を当初設定のゴールに持ち込むことをよしとするようなありかたをしてしまっている場を反省している。それが望まれ、そのように行わざるを得ない状況もあるけれども、そういった場の息苦しさや限界も時に感じてしまっている。
場にゆだねること、偶然性に身をさらすことで、主宰者、講師と位置づけられる側の人間もその場によって変化させられ、学び・気づかされるという成果を手にできるような気がしている。
イベントや行事ごとといえば、参加者や売り上げといった数値的な、すぐにわかりやすいところで成否が語られ、注目があつまるところがあるが、本質的にはそこで何が起こっているのか、どんなことがおこったのかということを見ていく必要があると思っている。それはある意味で、見る目を持った人にしか見えないものであるかもしれないが、そういった視座をどこに置くのかということを考えさせられる投げかけをしていただけたように思う。
最後の時間は、陸奥さんの宗教的バックグラウンドをうかがう。表層として立ち上がっている陸奥さんの企画の奥底には、陸奥さん自身の宗教に関する経験や、経歴と無関係ではないものがあり、必然としてそういう人格的な部分と取り組みが結びついているようなところをうかがった。非常にディープな、陸奥さんならではの経験と知見をお話いただいた。
(ここまで書いて、もっと僕もこの講座に対して「偶然性」に身をさらしておけばよかった、さらすべきであったということ、そしてもうちょっと僕にコーディネート・聞き手としての力量があれば、と反省が生じている)
講義の終了後、まわしよみ新聞が10周年を迎えた記念行事が行われるそうなのだが(祝!!!まわしよみ新聞創刊10周年記念イベント~それは應典院コモンズフェスタから産まれた!~)こちらに、ゲストでお招きいただくことになった。これは楽しみ。
「夜座」へと続く(https://ryogo1977.blogspot.com/2022/09/9.html)
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