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朝の公園で「らじじ体操」と 「どんぐり」を拾う。

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 先週から、朝のラジオ体操に参加している。   上坂部西公園 通称「みどり園」(https://www.amaryoku.or.jp/content/?mode=show&seq=1)  で、朝の6時30分から、されているのに参加している。    朝の目覚めに、30~40分ほどの時間、ラジオ体操と散歩で、カラダもアタマも目覚めて調子がよく、1日も気持ちよく過ごせているので、機嫌よく続けている。  もうすぐ4歳の息子も時々、着いてくる。 彼は、ラジオ体操のことを「らじじ体操」と言っている。(ここ2週間で3回くらい参加している)ちょっとずつ、体操らしい体の動きも見せるようになってきた。  アラフィフの私への影響としては、  ・気持ちのよい朝の時間。  ・からだが目覚めて、朝の運動、散歩として快適。  ・頭がめぐるし、散歩は思考にもやはりいい。  というような影響がある。  もうすぐ4才児も、体操や散歩、公園のあれこれが刺激になっているようで、ずっと歌ったり、何かを見つけて走り出したり、しゃべり続けたりしている。    例えば、  ・公園の定位置にいるネコに、駆け寄り話しかける。  ・めずらしい花や、虫を発見する。  ・その他、いろいろな刺激や興味をもたらすものがある。      公園のなかには、鳥の巣箱も仕掛けられていて、子どもに「小さな家があるよ」というと、とても面白がっていた。  最近は、どんぐりが目に付くようになって、毎日拾っている。   どんぐりの背比べを撮影してみた  息子と、今日は「どんぐり拾おうね」といいながら、公園に行ったのだけれど、体操を終えて、どんぐりポイントへ行こうとすると、    「何歳? どんぐりいる?」と、袋に入ったどんぐりをくれるおばさん、  どんぐりをひらっていると、「ここにもあるよ」「これもあげようね」と、どんぐりを追加でくれるおばさんも登場して、大量のどんぐりが入った袋をぶら下げて、家に帰った。    規則正しい一日は、楽しくもある。

住職はハガキを投函してまわっています。

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 大学や研究関係のことがブログになりがちであったので、ちゃんとお寺の事をしているということも書かなければと思っています。  東京から戻って、昨日・今日はお寺でのお仕事を進めました。  ※と言いながら、昨日は「人権研修」(受講必須)と、今日は「チェーンレクチャー打ち合わせ」が、それぞれオンラインで1時間ありました。  昨日・今日と、午前はお参りを中心に、午後は来週末は、 秋の永代経法要が予定 されていますので、ハガキの郵送や、近隣には手配りで投函するといった作業をしています。  西正寺ホームページ: 【行事案内】令和7年 秋季永代経法要 こちらがお配りしているハガキの原稿  郵便屋さんのごとく、自転車で町内をまわりながら、1軒、1軒投函しています。手間であることは間違いありませんが、配りながら「ご無沙汰しているけど、お元気かな」とかそのお家の方のことを思い出したり、この方の家はここだったな、と薄らいでいく地理的な記憶がリマインドされたりしています。結構、意味ある作業だなと思っています。  問題は、「時間」というリソースが限定的であること。(すべてはそれに尽きるわけですが)  あわあわとしながら、いろいろな作業を進めている日々です。 こちらが チラシのデザインです

古書の相場が暴落している。(20年くらい前と比べて)

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 宗教学会(@上智大学)を最終日の午前の部までで後にして、帰り道、神田神保町の古書街に足を運んだ。  思い返せば、20代の院生の頃は、東京にくると、必ずと言っていいほど足を運んでいた。安く本が買えるかもしれない、貴重な研究書や資料が、売りに出ているかもしれないと。 今は、ネットで古書を検索し、居間にいながらにして入手することができるし、なんならPDFで入手できるものもある。  しかし、今回は自分の研究リハビリ期間と言いつのっている時期でもあるので、若かりし思いをとり戻すべく、足を運んだ。  もちろん、楽しい時間だった。  古地図で、尼崎に関するもの、江戸期の摂津に関するものなどを店主の許可をもらって広げたりしていると、あっという間に時間が過ぎていた。  専門(仏教・真宗)関連の書店にも足を運んだ。刺激もたくさんあったが、古書店に積み上げられた、近年のものはもちろん、大正や昭和初期、あるいは明治からの仏教研究や、人文学関連の研究書の量と、あらためてまったく未知、想像をおよぼしたことのない書名の数々に学問の見えない底の深さにあらためて愕然とさせられもした。  この年になって、あらためて自分には扱う能力のない資料や、影印の資料の数々を見て、言うまでもないが、研究から離れてしまっていたブランクと無力感を痛感する。  さて、それで表題の件だけれど、古書の相場が暴落している。    今日見たもので、   ・野上俊静『中国浄土三祖伝』8800円   ・望月信亨『中国浄土教理史』5500円  であった。(他にも、驚く値段になっているものはたくさんあったが)  おそらく、一般の方は、「何が安いねん」と思われるかもしれないが、2000年代、私が修士課程になったばかりのころは、古書でこれらを買おうとすると、5万円以上、お店によると10万を超える値段がついていたように記憶している。  先日も、梅田の古書店で、   ・牧田諦亮『疑経研究』が6000円だったので、即買いしてしまった。  店主さんも、レジで、「これ、昔、もっと高かったですよね?… 間違いかもしれないので、確認していいですか?」としばらく待たされるようなことだった。(そして、値段は間違っていなかった)  研究状況の変化かもしれない、研究人口の変化かもしれない、あるいは、物理的な書物ではなく、取り込んでデータにしてしまったりすると、...

日本宗教学会に参加 9月14日午後~16日

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 9月14日(日)から本日9月16日(火)まで、日本宗教学会(会場:上智大学)( 大会特設サイト )に参加した。(リンク: 大会プログラム ) 14日(日)は、午前にお参りを終えて、昼前の新幹線で東京へ。 14:00からのシンポジウムに遅参して参加。  15日、16日は研究発表とパネル発表に参加(聴講)。  主に回った主題として、 弔いに関すること、量的調査や寺院などの現状に関すること、近代仏教に関すること、真宗学・仏教に関すること、友人・知人の発表といった関わりで2日間、発表を聞いて回ることができた。    貧弱なボキャブラリーであるが「よかった」、とてもよかった。  詳細に書いていくと、尽きなくなってしまうが、大まかにいうと以下の様なことがあげられるか。  ・最近の宗教研究にかかわる発表と質疑に触れ、学びや刺激が多かった。  ・研究や関心にかかわる発表をされた研究者・先生との知遇を多く得ることができた。   → これは、自分自身だけではなくて、大学での教育プログラムに大いに反映できることでもあると感じている。    ・かねてからの知り合いや友人との旧交を温めることができた。    書いてみると当たり前のことだけれど、まあ「よかった」のである。  こうやって、泊りがけで研究出張に出られるのも、お参りを引き受け寺の仕事を引き受けてくれている両親、家と息子の保育園の送迎もろもろを引き受けてくれている妻のおかげである。感謝。 日本宗教学会の会場となった 上智大学さん シェアサイクルで移動すると、世界陸上のマラソンに遭遇。 マラソンの交通規制で、道路が、がら空きだった。 交流会でたくさんの先生方と再会・ご挨拶 2日目の夜、宿(御徒町)から、上野近辺を散策しました the・アキハバラ  

記事になりましたよ情報(2件)

 このたび、以下の様な記事に掲載いただきました。 1、『中外日報』(2025年9月10日号) 見出し:「仏教者の平和活動とは」  9月4日の夜にオンラインで開催した、大谷栄一先生(佛教大学教授)を御講師にしたイベントについて記事にしていただきました。こちらでは、聞き手として登壇させていただきました。   イベントのページはこちら ( https://ngo-ayus.jp/activity/training/ayus_seminar/25talkevent/ )  大変勉強になり、刺激をいただいた会でした。私自身については、正直、十分なことができたか心もとなく、たくさん反省もあるようなことでしたが、イベント自体の感想は大変好意的なものを多々いただきありがたい会でもありました。  記事の中で、私のコメントとして紹介されているものについて、「教義」との関係の中で私の意図した形とはちょっと違うニュアンスになっているように思います。このあたり、気になる方はまた、直接でも聞いていただけたらと思います。  ※このイベントについては、ライブ配信のみで、アーカイブなどはありません。 2、『文化時報』ホームページ「福祉仏教ピックアップ」 https://fukushibukkyo.com/pickups/13141.html 先般 6月に、龍谷大学大学院実践真宗学研究科の講義「実践真宗学総合演習」で行ったワークショップについてのものです。こちらはすでに『文化時報』紙面にて6月に記事にしていただいていました。これがまた、オンラインでアップいただいたものです。

「掃除機を持つとホコリが見える」 『ないおん』2025年(令和7年)9月号 掲載

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 毎年、原稿を依頼いただいている『ないおん』( https://www.eonet.ne.jp/~naion/index.html )紙面。今年は今月9月号に原稿を載せていただきました。 「掃除機を持つとホコリが見える」  ある日のことです。部屋の一部にホコリを見つけました。掃除機を手にして、そこをきれいにすると、「ついでに、あそこも、ここも…」と気になりはじめ、最後はホコリを探して掃除機をかけていました。  この感覚が言葉になったので、冗談めかしつつ妻に言ってみました。「わかった。ホコリがあるから掃除機を持つんじゃない。掃除機を持ったから、ホコリが見えるんだ」。すると、妻から一言。「息子(当時2歳)といると、めちゃくちゃ、ホコリが目に入るよ」と。私はそれ以上何も言うことができませんでした  しかし、その通りだな、と思うのです。だれかといたり、何かを持ったり、何かをしたりすることで物の見え方、感じ方が変わってくるのではないでしょうか。見えなかったものが見えるようになったり、見ていたはずのものが全く違うように見えたりします。例えば、食事もそうです。丁寧に心と言葉を向け、手を合わせて、「いただきます」と言って食べる(いただく)のと、なにもいわずにむしゃむしゃと食べる(食らう)のとでは、きっと同じものを食べているのに、味も見え方も違うものになります。(嘘だと思われたら、ぜひ一度試してみてください)  日々の暮らしも、仏さまに手を合わせ、お念仏の中で暮らしていく生活と、それらがない生活では、同じ暮らしをしているように見えても、きっとその人が見えるものや、感じることは違うはずなのです。  私たちはよく行為に理由や説明が求められます。「○○だから〇〇する」と言ったり、あるいはなぜそれをしたのかという理由を当たり前のようにたずねます。子どもたちにも「〇〇だから○○しようね」と、行動に理由をつけて、それをするように促します。 しかし、子どもたちを見ていると、理由があるから行為をするのではなく、逆に行為(遊び)によって、感じられること、気づくこと、見いだされることが大事ではないかと思わされることがたくさんあります。一つ一つの経験に目をキラキラさせているようなときです。  理由があるからするのではなく、することによって見えてくる、わかってくることがある。子どもたちは、理屈よりも前に、そ...

お寺とマンション

  9月8日・9日と真宗学研究学会があった (詳細はリンク)ので、京都に宿泊していた。  朝に、四条烏丸にとっていた宿から、LOOP(シェアサイクル)を利用して、自転車移動をした。寺町通りを移動していると、ふと目についたのが、「〇〇寺」と看板がかかっているけれど、どう見てもマンションという建物。  少し気になり、LOOPを手押ししながら、ちょっと覗いてみると、やはりお寺のようだった。  正確には、お寺の敷地内にマンションを建てられた物件のよう。後ろから不意に、「なにかごようですか?」と声をかけられてしまった。(きっとどう見ても不審者だったんだろう)  「お寺の看板があったので、お寺なのかな?と気になりまして」「私も尼崎の寺のものでして」と、説明すると、不審者ではなかったと安心してもらえたのか、いろいろと経緯を教えていただけた。  お寺の本堂からなにからすべて建て替えをして、敷地に(僕から見たら)大きなマンションを建築された様子。マンションの玄関手前横に、お寺の参拝のための玄関らしきものがあり、そちらを通って本堂やお墓へのお参りへと進む様子(さすがにお墓の場所は移動していないとのこと)。  ・昔のように、檀家さんからご寄付をいただくことが難しい時代になっている。  ・お寺の経済的維持が難しい   (そのため不動産収入を見込んでマンションを建築されたのだろう)  事情はよくわかる。  寺町通だけあって、そのまま移動をしていくと、数メートルから十数メートルごとにお寺を見かける。建て替えられたお寺をみたあと、昔のままの景観を維持されているだろうお寺も少なくないが、多くが先のマンションを建てられたお寺と状況を同じくしているだろうことも想像しながら、自転車をこぎつつ、町の様子を眺めて移動していた。    身もふたもない言い方をしてしまうと、お寺がお寺の活動で維持できなくなって、不動産等宗教法人としての本来の活動以外の収入を主としてしまうと、それは残念ながらお寺ではなくなってしまうよなぁ、などと思いながら自転車をこいでいた  今思い返すと、おそらく法律的なたてつけも、そうなっていたと記憶している。  chatGPTを利用して検索、確認をした  以下がそのやりとりの共有リンク   https://chatgpt.com/share/68c097af-cc50-8004-98ed-0...

真宗学研究学会(9月8日・9日)のこと

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  9月8日午後~9日の午前は、「真宗学研究学会」(@京都女子大学)という会があり、そちらに参加。京都宿泊で、9日の夜に帰宅した。  真宗学研究学会は、龍谷大学真宗学科にゆかりがあり、浄土真宗本願寺派関係の大学教員を会員としている、内々の研究会。助手として在籍していた2017年度以来、再び入会(参加?)という形になった。   今回は、京都女子大学を会場に開催された。 9月8日午後(記念講演、総会等)翌・9日午前(研究発表等)といったスケジュール。  記念講演は、坂口満宏(京都女子大学付属小学校校長、元・京都女子大学教授)「京都女子高等専門学校で学んだハワイの日系人」。  京都女子大学の前身でもある京都女子大学高等専門学校には、戦前、多くの日系ハワイ移民の子女が留学しに来ていたことを取り上げて、そこでの教育のこと、また京女設立者でもある甲斐和里子(かい・わりこ)氏とその親族―とくにハワイ開教総長であった今村恵猛(いまむら・えみょう)氏とその妻で甲斐和里子氏のめいにあたる今村清子(いまむら・きよこ)氏、その子や孫にあたる方たちと京都女子大学とのかかわりをご教示いただいた。  意外なほど、継続した関わりを、京都女子大学(と学園がある今熊野周辺)と清子氏家族のかかわりが大変興味深かった。  また、戦前にハワイから来た日系人女子学生たちのアイデンティティ・クライシスの問題にもふれられていた点に質問をさせていただき、そこにあった時代的問題点もご教示いただいた。 (帰りに撮った京都女子大学にいたる女坂)  懇親会では、久しぶりにお目にかかる関係大学(龍大のほか、ホスト校をお引き受けくださった京都女子大学、それから相愛大学の先生方が来られていた)と交流の時間。 こういった場所での、意見交換や情報交換もとても貴重なもの。  その日は、京都泊り。   翌9日の午前は、研究発表の部として  ・内手弘太先生(龍谷大学)の「戦中・戦後の真宗教学―普賢大円を通して」  ・嵩満也先生(龍谷大学)「親鸞思想とイスラーム神秘思想の対比の可能性」 という2つの発表(それぞれ予定時間としては、60分発表、15分質疑)をうかがう。 先日、佛教大学の大谷栄一先生の講義を聞かせていただく機会―NPO法人アーユス仏教国際協力ネットワークの企画で、「戦後80年」の節目に、仏教教団と平和活動について考える機会―をい...

市議会の議事録がAIで検索できるようになればいいのに

 SNSで、市議会議員さんから、議会での一般質問やもろもろの活動報告が投稿されているのを見てふと思ったこと。 たとえば、アカデミックな議論(論文)であれば、可能な限り関連する先行研究を踏まえて、研究発表や論文を投稿するというのは、基本的なお作法の一つである。 市議会の質疑応答なども、関連する過去の質問などを踏まえて、行政当局が「過去にこのように答弁していたが云々」と、これまでの議論の経過を踏まえてディスカッションが行われたらもっと濃密な、充実した議論が行われるのではないかと、ある意味で「一市民的な視点」で思ったりもした。 試みに、AI(チャットGPT)に、尼崎市議会の議事録が検索できるかどうか、 昨今話題の「外国籍市民」についての質疑などをピックアップできるか、などを聞いてみた。 そのやり取りがこれ https://chatgpt.com/c/68c017f3-462c-832c-a68a-916d5bfa90e7 ネットで公開されているものは、やはり一定拾い上げてくれている。 市民に公開することに難があるならば、内部的なデータベースみたいなものをAIに読み込ませて、議会の議論の資料として提供されたりしたら、より濃密なやりとりが展開される材料になるのではないかと思った。 (いや、公開の市議会の記録を市民に公開することに難があろうはずはないよね) あるいは、一市民としても、市議会で関心のあるテーマがどのように議論されているのか(あるいはされていないのか)を簡便にしることができるのではないかと思ったり。 思いつくままに 書き連ねました。

「他者性」についての雑感

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細見和之 『思考のフロンティア アイデンティティ/他者性』 (岩波書店、1999年) より 「言うまでもなく、人間は一個の身体として、あるいは生命体として存在している。アイデンティティを他者性との関係で捉えるとき、この身体という次元を無視することはできないだろう。あたりまえの話だが、ぼくらは自己の外部から酸素や水分、栄養などを耐えず摂取しなければ生きられない存在である。身体ないし生命として「私」を維持するために、いつも外部から「他者」を取り込まなければならない、という逆説。だが、そのように他者を取り込むということは、同時に自己が絶えず他者化されるということでもある。毒ガスや毒物という致命的な他者を摂取して、文字通り身体が破壊されてしまうのは、そのような他者化の極端な例である。(宗教的に厳格な人々がその戒律に則ってある種の食材を忌避する際にも、自らがまさしく肉体レベルで「他者化」されることへの恐怖があるにちがいない)。ぼくらはひとつの身体的存在として、そのような他者の同化および他者への同化という一見奇妙な事態を、日々生きているのだ。あるいは、ぼくらはそういう身体的存在として、自らの内部を未知の不確定な「外部」へとつねにすでに開いてしまっているのである。」 (3~4頁)  論文で触れる必要があって、「他者性」にまつわる論文や本を読んでいる。  「他者」とは、「自己」に対するものであって、自己とは全く異なるものである。 他者論で、つねにといっていいほど引用されるのは、レヴィナスだそうだ。レヴィナスの他者論については、以下のように説明される。 「他者」とは、「自分とは異なる存在」である。単に「私」(自己)以外の人間が「他者」であるとは限らず、「私」によって支配も回収もされることのない、「絶対的に他なるもの」も「他者」である。『全体性と無限』という書名が示すように、レヴィナスの哲学では「他者は決して全体性に回収されることのない無限の存在」とされている。」    Wikipedia「レヴィナス」  より  しかし、自己は自己のみで自己にはなりえず、他者との邂逅/接触によって成り立つものといういうほうが、仏教の「縁起」の考えに近いように思われる。また、それほど自他の境界は絶対的なものであろうか?とも考えてしまう。  冒頭の文章は、署名の通り、アイデンティティと他者について書かれた...

日本印度学仏教学会@大阪大学

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 2025年9月8日(土)の午後、日本印度学仏教学会に参加しました。 (午前と、翌7日はお参りのため、初日の午後~夕刻の懇親会まで参加) 博士課程の20代、学会での初発表を同じくするT大の先生方や、研究分野を同じくする先生方との交流のありがたさを毎年つくづく感じています。 若いころは、自分の「研究発表」でいっぱいいっぱいでしたが、学会での交流の意味を先輩方から教えていただき、研究や知識の幅が広げられることが多くなりました。 研究所や、大学での立場をいただくようになると、同年代の交流のあった先生方もそれぞれ立場を得られるようになっていて、また宗派やそれぞれの所属組織での課題や、ノウハウ等も可能な範囲で情報交換を行う場にもなっていきました。 今回も、それぞれの大学でおこなっている学生教育や、僧侶養成のシステム等について情報交換したり、夜のフランクな席では、それぞれの宗派の儀礼や京都や東京といった「中央」的なところと、地方とのギャップ等についてもあれこれ話題にあがりました。 9月は学会シーズンでもあります。 お寺のお勤めのスケジュールと都合をつけるのがなかなか簡単ではありませんが、できる範囲で足を運んで、先端の研究を勉強したいと思います。

1級になった現在地。

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今年に入ってからできるだけ、筆をとって練習を重ねている。 習い始めて3年目になる(かな?)。正直1年目は教室に通いながら、「通っていたらなんとかなる」という感じだった。 ところが、間があいたり、ついつい怠けて、一向に上達しない。 たまに、「連日練習する」とそれなりにうまくなっていく、という気づき(というか当たり前だ)もあって、昨年の年末くらいから、日常的に筆を持つように心掛けている。 そこそこ楽しくなって、この4月か5月には、1級になった。 まだまだうまくいかないことや、思い通りに文字が引けないこともあるけど、そこそこ楽しくやっている。 ということで、1級になった現状を記録として残しておこう。 4月28日のお稽古と添削 5月2日。本日の手習い。

大学に就職して1か月

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5月1日。 大学に就任して1月が経ちました。 ちょうど本日、大学の教員紹介サイトに私の情報が掲載されました。 【龍谷大学 教員紹介 中平了悟】 https://www.let.ryukoku.ac.jp/teacher/nakahira.html 研究業績や経歴はリサーチマップにまとめられておりますので、こちらをご覧ください。 【リサーチマップ 中平了悟】 https://researchmap.jp/nakahiraryogo  リサーチマップは、もともとは、非常勤でテニュアでもなければ多少ふざけてもよいかなとフェイスブックのアイコンにもつかっているイラストを顔写真として表示していましたが、さすがに現状それではまずかろうと、3月ころから顔写真に変更しました。(笑)

「アマック25 尼崎ー豊田交流戦」のハナシ。

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アタックではなく「アマック」25。 尼崎市のフルカワさんが主宰して、定期的に開催している主にオンラインのクイズ大会。 毎年年末には、年間チャンピオン決定戦があり、そこをめざして多くのひとがしのぎを削るという、一部で(しかし一度でも触れた人はほとんどが)熱く盛り上がっている企画がある。(私は常連の参加者の一人だと思っている。) そもそもは、コロナによって地域行事がほぼほぼ休止状態になっていた2020年。福岡県久留米市で行われていた「オンライン公民館」なる取り組みを見ならって、尼崎でも「尼崎オンライン公民館」がほぼ月例でおこなわれるようになった。(コロナが落ち着いたことにともなって、現在は行われていない)。 その中で、大人気の企画だったのが、フルカワさんが立ち上げた アマック25。 本家 アタック25さながらのパネルを、Microsoft Excel で作成し、パネルの変化から、出題・音声の出力まで、これ一つでやっている。(毎度感嘆している)。 出題から構成まで、すべてフルカワさん。(すげー) その熱意と行動力たるや、オンラインから飛び出し、尼崎市内でのリアルの企画、尼崎で一番大きな「市民まつり」のコンテンツになり、さらには本家「アタック25」からこのような企画をおこなう公認も得た。 本家アタック25で優勝した(パリ旅行を獲得した人も)尼崎市民も複数人、常連として出場中だ。 なにって、テレビで見てたアレ(パネルの獲得)が、実際に体験できるのだ。 アタックチャンスに至っては、もうこんなにどきどきするものだったのかと、何度やっても興奮が止まらない。笑 もうしわけないことに、フルカワさんから出場のオファーがくるたびに、家族(妻)に頭を下げ、家族の負担・いろいろなものを差し置いて出場してしまっている。(ダメおやじ) そんなこんなで、4月23日(水)は、アマック25だった。 「アマック25 尼崎ー豊田交流戦」と銘打って、先般、フルカワさんが足を運び、リアルでアマック25を体験された愛知県豊田市のみなさんと、尼崎のアマックメンバーとの交流戦。 そもそもが、先の「オンライン公民館」が豊田市でもおこなわれ交流が持たれていたことに端を発したものだろうと思う。  尼崎から4名・豊田から4名が出場。各回2名ずつ出しあって、2戦行われた。  詳細は割愛するが、第一戦の結果。  なんと、尼崎のイ...

4月20日~26日のこと(いそがしかった)

あわただしい1週間が終わってかなりほっとしている。 細やかに書いておきたいことも多々あるけれど、ひとまずざっくりと、今週の記録。 4月20日(日)西正寺寄席。26回目。お参りのあと、門徒さん、ボランティアさんのご協力を得て、西正寺寄席を開催。終了後、打ち上げ。 4月21日(月)午前は月参り。午後習字のお稽古に。夕刻~夜は阪神東組(お寺の地域のグループ)の役員会。 今年度から副組長(ふくそちょう)というお役を拝命したため、その就任歓迎の会も。  4月22日(火)やや寝不足で体調不良。午前はいつものように月参り。午後1コマ大学での講義(学部・布教伝道論)。(通夜を父につとめてもらう) 4月23日(水)。ご葬儀のお勤め・導師。9:30からの式。午後に還骨・初七日。急ぎ移動し、5時間目の講義(浄土教思想論研究)。 講義終了後、院生から研究相談。19:20オンラインでクイズ大会 アマック25に参加。緊迫した勝負の結果優勝。  ※ 葬儀を完全につとめて、京都へ移動し講義もできたというスケジュールを完遂した。(驚) 4月24日(木)。午前中は月参り。翌日に葬儀ができたため、日程を変更してお参りをさせていただくおうちをお参り。午後、研究室でオフィスアワー1コマ、講義1コマ(ゼミ)。講義終了後、急ぎ尼崎に戻り、お通夜のお勤め。  ※ 朝お参りし、午後大学で講義し、いそぎもどってお通夜をお勤めするというスケジュールを完遂した。(驚) 4月25日(金)。午前月参りと、合間に阪神東組の門徒推進員総会で法話(30分)。またお参り。午後、レジュメやスライドを仕上げて、夕刻~大阪の下寺町で浄土宗寺院の若手のみなさまの研修会で講師。その後の懇親会も同席させていただき、帰宅。 4月26日(土)。午前、月参り。お墓の建碑・納骨のお勤めも。午後は、勉強会「はすの会」終了後。無事に1週間のあわただしいスケジュールが終わったような気がしてほっとする。家族とすこし外出。

GASAKI BASE が往生(閉店)するのでお葬式をしたというハナシ。

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記載が前後するが、これもとどめておきたいと思う出来事。 尼崎は戸ノ内にあったガサキベースが往生(閉店)した。 番頭(店主)の足立さんから、半年以上前だったと思うが、「4月に閉店するから葬式をしてほしい」という話をもらっていた。ほかならぬ足立さんの頼み。この数年間、足立さんからは、たくさんの刺激・インスパイアをもらった。  またそれ以上に大きく、かつ多くの足立さんの手にかかるものが尼崎の地には、生み出され、作り出されて、影響が与えられてきたように思う。地域に多数の足跡・傷あとを刻み込んだ足立さんの節目に立ち会えるというのは、光栄なこと。 ※ 足立さんのインタビューや ガサキベースが紹介されているサイト AMANISMより OC vol.05 まちとつながるDIY 尼崎傾奇者集落とGASAKI BASE https://amanism.jp/ucma/report/entry-169.html まちなかの「村」から発信する「ほんとうのDIY」 https://amanism.jp/people/entry-90.html    ごちゃごちゃ、いうてしまったけれど、きっとみんなここが大好きなんだろうなと思う。そんな場の節目は、請われなくても身を置いておきたいと思うもの。  実際、往生(閉店)のこの日までにもたくさんの人が、ガサキベースを訪れ、別れを惜しみ、足立さんたちと言葉を交わしていたようだ。この日も、たくさんの人が、最後の日に立ち会うべく足を運んでいた。  「葬儀」と「往生」の話で、もらった時間は 30分。オーダーは、ガサキベースの葬式をし、「往生」についての話をしてほしいということ。ばたばたとする中で、準備に十分に時間をさけたとは言い難いが、それなりにイメージをふくらませ、表白(読み上げ文)もしたためた。  葬儀の雰囲気を保ちつつ、お店のアナーキーというか、「集落感」というか、ガサキベースらしさを損なわず…ということはなかなか苦慮する部分ではあったけれども、また「往生」や「死」「別れ」ということを、立ちあってくださった人たちとある種共有することはできていたように思う。  写真は当日のようす。 ※photo by 城周作 氏 ※photo by 城周作 氏 「葬式」の中で読み上げた「表白」 ●足立さんが、ガサキベースの閉店を「往生」と名付けた 足立さんから、閉店を往生...

尼崎市から感謝状をいただきました

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4月14日月曜日。尼崎市から感謝状をいただきました。 3月末日まで、1期4年の教育委員の任期を満了しました。 (※終えるにあたって、書かせていただいたものはこちらです。3月26日付「教育委員を終えるにあたって」 https://ryogo1977.blogspot.com/2025/03/blog-post_26.html )    本来は、3月31日に、感謝状贈呈式があり、そこに出席して受け取らせていただく予定でしたが、ご葬儀のお勤めがはいって、欠席のご連絡を入れたところ、再度日程を頂戴いただいて、一人だけのためにこのような場を設けていただいてしまいました。  市長はじめ、教育長、副市長、幹部の方も同席いただき大変恐縮する場でした。  あらためて、任期の4年は本当に貴重な経験をさせていただきました。今後は一市民としてまたできる範囲でできることをやっていきたいと思います。  

「大阪・関西万博に学校行事で子どもたちを連れて行かないよう求める要望」について、現状において思うこと。

SNSで、ある政党の市議団が教育委員会に対して、「大阪・関西万博に学校行事で子どもたちを連れて行かないよう求める要望」を出されたと接しました。  あくまでも、個人の意見として、教育委員会という教育行政にかかわったものの立場からの意見をあくまでも、批判・対立ではなく、建設的・相互理解の意見交換のためとおもって書き出しました。  私信的なものですが、書いてみて広く意見交換できればと思い、こちらにも転載しました。「教育委員会の立場・姿勢を理解する」側の意見です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  一応、3月まで教育委員をしていた身として、3月まで果たしていた責任として、今は市民としての思いを書かせていただきます。  ◆事務局の対応と 議員団としての要望について   教育委員会事務局の説明に納得がいかない部分、対応が十分でないと感じられる部分については、指摘や意見交流を通じても改善していかれるべきことと思いますので、種々の意見を寄せていただくべきかと思います。(※ですので、なにもいうべきではないとは思っていません。むしろ、あらゆる声が向けられ、聞いていかなければいけないのが行政機関の一つの責任でもあると思っています。ただ、そうすると無尽蔵に聞くべきかとなってしまいますので、その制度を守るためにも、市民側にも、一定の市民的責任としての民主主義についての理解やリテラシーが必要なのだろうと思う立場です。)  ◆教育委員として質問したことについて   本市学校の万博見学・参加への対応ですが、私自身も気候や種々の安全性、また近隣地域の学校対応が報道されていることから、一定の懸念を持っていた立場です。その立場から、任期終了近くではありましたが、万博への学校の参加の状況等について、質問やり取りを行って、3月定例会で質問をしておりました。これは、3月教育委員会定例会の報告書に記載されるはずです。(ただ、一部要約されていること、また「教育長報告と委員協議」の部分で、おそらく期待されるほどの詳細な議論を行ったわけではありません) 他にもたくさん論点や書くべきことがあるように思い始めました。それは割愛して、「教育委員会に、各学校へ万博へ行かないように働きかけるように」ということに含まれる問題として私が感じることをお伝えさせてください。  ...

【ご恵贈いただきました】 大正大学地域構想研究所・BSR推進センター編『地域と寺院~まちに開き、まちを拓く』(1)、(2)

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本日、大正大学地域構想研究所さまから、以下の大部なご著書2冊をご恵贈いただきました。  表題の通り、地域に開かれた寺院91か寺の事例を取材し、記事にされたものがまとめられたものです。  もともとは、同研究所が編集されていた『地域寺院』という雑誌に連載・掲載されていたものです。西正寺も取り上げていただいたことがあり、本書の2巻に収録していただいていました。  連載時から、寺院の地域活動に関するとても貴重な情報を提供いただいているものと思っていました。先年、刊行が終了し、大変残念に思っていたところでした。  現在、業界紙的な新聞、『中外日報』や『文化時報』といった紙面でも、活躍する宗教者の活動が取り上げられています。すべて拝見することはできていないのですが、これらも大変貴重な情報であるように思っています。  個別・具体的に行われている寺院・僧侶たちの活動がたくさんあるのですが、それらは個別・具体的であるが故に、なかなか集約して知ることがむずかしいように思っています。  現在は、これらのように、個別の事例を集める、という形で書籍や連載記事にまとめられ、積み重ねられているように思います。  みなさんのまわりのお寺も、もしかするとそのような大事な活動をされているかもしれません。ぜひ、門をくぐってみる機会・ご縁を持っていただけたらと思います。 (もちろん、そうでないこともあるかもしれせんが) (同封いただいていたご案内)

龍谷大学で担当する講義、スケジュール―2025年度

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 2025年、大学の講義スケジュールと、講義の内容についての概略は、以下の様なところです。 前期は 火曜・水曜・木曜に、 後期は、火曜・木曜に講義を担当します。 オフィスアワー(研究室に滞在して、事務対応、学生対応、諸連絡に応答する時間)は、木曜の3限目に設定しています。 他、若干の会議や行事、その他の業務で、これ以外の曜日にも出入りがあると思いますが、おおよそそんな感じのスケジュールです。 【前期】 《文学部 開講科目》 ・火曜 4限「布教伝道論Ⅰ」 文学部真宗学科・大宮キャンパス  → 学部生に浄土真宗の布教の理論と実例を中心に講義をします。 《大学院実践真宗学研究科 開講科目》 ・水曜5限「浄土教思想論研究」  実践真宗学研究科・大宮キャンパス  → 大学院生対象で、浄土教思想の基礎の講義と、所定のテーマについて調べてきた院生の発表をもとにディスカッションを予定しています。 ・木曜1限「実践真宗学総合演習Ⅰ(ア)」 実践真宗学研究科・大宮キャンパス  → 大学院1年次生の必修講義です。私を含めた5人の教員が担当します。担当教員のチェーンレクチャーと、受講生の研究発表を行います。 ・木曜4限「宗教実践演習Ⅰ(B)」 実践真宗学研究科・大宮キャンパス  → 大学院2年次生が所属する、いわゆるゼミです。講義も行いますが、主に院生の発表や、修士論文と実習の計画を練り上げることもここで行います。 【後期】 《文学部 開講科目》 ・月曜 3限「現代仏教入門」 文学部仏教学科・深草キャンパス (※15回の内2回を担当)  → 仏教学科のチェーンレクチャー。2回を担当します。現代社会と仏教の関係、現代社会における仏教者の活動の実例を紹介する予定です。 《大学院実践真宗学研究科 開講科目》 ・火曜3限「布教伝道論研究」実践真宗学研究科・大宮キャンパス  → 大学院生対象の授業です。浄土真宗本願寺派の布教使課程に深くかかわる授業となります。法話に関する講義と、受講生による「布教実演」を行います。 ・火曜4限「宗教実践特殊研究(E)」 実践真宗学研究科・大宮キャンパス  → 2018年度から担当させていただいている講義を引き続き担当します。  宗教社会学的研究の論文集をテキストに、受講生による発表・レポートをもとにディスカッションを行います。 ・木曜1限「実践真宗学総合演習Ⅱ(ア)...

就任2日目 「就任時研修」を受講しました。

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 4月2日。就任2日目は、このたび採用された教職員のみなさんと一緒に就任時研修を受講しました。(@深草キャンパス)  朝9時から、15:30まできっちりのスケジュール。午前は、教員・職員共通で、大学の歴史・建学の精神、人権やハラスメントへの対応、学生支援や障害福祉等の取り組み、社会保険等の福利厚生について。  午後は、教員対象の内容で、大学での教育活動について、研究活動について、それから学生に対する学修・就学支援の施策や対応、教員活動の自己点検と、社会連携・社会貢献と多岐にわたりました。    実は10年前の 助手就任時に受講しなければならなかったため、10年ぶり2度目の受講なのですが、さすがに10年の月日でアップデートされたものも多く、初めて聞くようなお話がたくさんありました。  (校門を入った直後の大学の広場 スタバもあります)  印象的だったことが、外部から来られて龍大の役職についていらっしゃる先生=研修を講師をしてくださった先生の何人かが、  ・「龍大は自由の雰囲気にあふれている(管理されない)」  ・「とても民主的な仕組みで運営されている」  (トップダウンや、権力構造ではなく、ボトムアップの意見が汲み取られる風土がある」  ・「人権や権利に対する取り組みが進んでいる」(最先端ではないにしろ、比較的早い段階から取り組む風土がある。もちろん完全ではないが)  といった言葉が異口同音に聞かれたことでした。  もちろん、問題や課題がないわけではなく、昨今の新聞報道でも龍大の課題が取り上げられたこともあります。ただ、このように感じられること、このようなことを大事にしている学風の中で過ごしたこと、あらためて母校が大事にしていたこと、「当たり前のように行っていたこと」を振り返えるような気がしました。  (東門前の掲示版。宗教部のポスターが掲示されています)  受講後は、シェアサイクルで大宮キャンパスに移動。  研究室を少し掃除し、同じ研究科の先生たちと、夕食兼打ち合わせ会を終えて帰途についています。

【ご報告】龍谷大学の教授になりました

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・辞令をいただきました 本日 2025年4月1日付で、龍谷大学文学部教授(特任)という立場に就かせていただくことになりました。文学部所属ではありますが、実質的には、7年前まで「実習助手」として勤めていた「大学院実践真宗学研究科」( https://www.let.ryukoku.ac.jp/practical_shin/ )を中心に大学院生の研究指導や、講義を行うことになります。(学部対象の講義も少し担当します) 特任教員という立場で、主として、教育活動(研究指導、演習や講義)と研究活動(自分の研究)を中心にさせていただくような立場と理解しています。現状の西正寺の住職としての立場、務めを守りながら、兼ねて大学に出させていただくような形になります。 ・研究室もあります  深草キャンパスでの辞令交付式のあと、主な勤務地になる大宮キャンパスに移動し、研究室のカギを受け取りました。  研究室は、大宮キャンパスの清風館の3階、303号室になりました。  写真のとおり、まだすっからかんのがらんどうです。  ・2024年度で退かせていただいた立場。  ご縁をいただいて再び母校に教員として、しかも昨年まで予想もしていなかった立場で復帰することになりました。学問研究ならびに諸活動でお世話になり、お育ていただいただいたみなさんのおかげと、関係のみなさまに感謝申し上げるばかりです。  主たる仕事は、西正寺の住職ということになりますが、並行してこの龍谷大学での教員生活をさせていただくということになりそうです。  それにあたって、昨年度3月までつかせていただいたお仕事もいくつか身を引かせていただくことになりました。   ・尼崎市教育委員(2021年度~2024年度)  ちょうど任期満了となり3月で退任させていただく運びとなりました。      ・相愛大学非常勤講師(2012年~2014年度、2019年度~2024年度)   ・園田学園女子大学非常勤講師(2019年度~2024年度)   ・NHK文化センター梅田教室 講師(2009年度~2024年度)   ・浄土真宗本願寺派布教使課程専任講師(2020年度~2024年度)  以上の講師のお仕事もこの3月で退任させていただきました。 いずれも貴重な経験をさせていただく環境ばかりでした。(本願寺派布教使課程については、担当していた講義のい...

教育委員を終えるにあたって 

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2025年3月までの任期をもって教育委員を退くことになりました。 思えばこの4年間は、教育行政の中に入って仕事をさせていただき、教育行政や市の制度を単に市民生活をしているだけでは見ることのできない角度から見聞きさせていただいた、得難い経験や学びをさせていただく4年間でした。 4年間、種々の課題や困難があった中に、教育委員ならびに事務局を導いてくださった教育長、またともに仕事をしてくださった3名の教育委員のみなさまには、それぞれの立場から意見を交わし、審議を重ねる時間を持たせていただきました。また、市教委事務局の職員のみなさん、学校現場の先生・教職員の方々、社会教育施設の職員の方々にも大変お世話になりました。教職員のみなさんが、日々、尼崎の教育・教育行政のためにご精励くださっていたことを直接的に、あるいは(報告や連絡などを通して)間接的に触れる日々でした。関わってくださったみなさんにお礼・感謝申し上げます。 法律・制度の建付けがそのようになっているのですが、「素人の市民」(レイマン)が教育委員としてお仕事をさせていただいたわけです。わからないことが多く、自分なりに努力や勉強しながらのお仕事でした。大きな責任・立場を与えていただいていましたが、実際は事務局のみなさんに前面に出ていただき、それによってお仕事がさせていただけていたというところが実際で、 (会議で審議・承認をするというのが仕事でもあるので、そのような形にならざるを得ない部分もあるのですが) 現実的には会議の場面で、口だけ・いうだけのような関与になってしまうことでもあり、種々ご迷惑をおかけしたこともあったかと思います。 その中でも、自分なりに与えられた責任や仕事の果たし方を自問しながら、誠実に努めるように心がけていました。ああすればよかった、こうした方がよかったのではないか等の「反省」はありますが、大きな「後悔」のようなものは持たずに、最後の委員会の場に立てているような思いでした。 4年間でわかってきたこと、理解できたことも増え、また感じている課題、積み残しているものを感じている中で身を引くことになったことは、残念な思いはありますが、私自身が考えていたこと、思いや課題感、意見は絶えず委員会で発言する機会をいただき、そちらでコメントしていましたし、また事務局のみなさんと意見交換をすることもできていました。それらを...

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