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1級になった現在地。

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今年に入ってからできるだけ、筆をとって練習を重ねている。 習い始めて3年目になる(かな?)。正直1年目は教室に通いながら、「通っていたらなんとかなる」という感じだった。 ところが、間があいたり、ついつい怠けて、一向に上達しない。 たまに、「連日練習する」とそれなりにうまくなっていく、という気づき(というか当たり前だ)もあって、昨年の年末くらいから、日常的に筆を持つように心掛けている。 そこそこ楽しくなって、この4月か5月には、1級になった。 まだまだうまくいかないことや、思い通りに文字が引けないこともあるけど、そこそこ楽しくやっている。 ということで、1級になった現状を記録として残しておこう。 4月28日のお稽古と添削 5月2日。本日の手習い。

大学に就職して1か月

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5月1日。 大学に就任して1月が経ちました。 ちょうど本日、大学の教員紹介サイトに私の情報が掲載されました。 【龍谷大学 教員紹介 中平了悟】 https://www.let.ryukoku.ac.jp/teacher/nakahira.html 研究業績や経歴はリサーチマップにまとめられておりますので、こちらをご覧ください。 【リサーチマップ 中平了悟】 https://researchmap.jp/nakahiraryogo  リサーチマップは、もともとは、非常勤でテニュアでもなければ多少ふざけてもよいかなとフェイスブックのアイコンにもつかっているイラストを顔写真として表示していましたが、さすがに現状それではまずかろうと、3月ころから顔写真に変更しました。(笑)

「アマック25 尼崎ー豊田交流戦」のハナシ。

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アタックではなく「アマック」25。 尼崎市のフルカワさんが主宰して、定期的に開催している主にオンラインのクイズ大会。 毎年年末には、年間チャンピオン決定戦があり、そこをめざして多くのひとがしのぎを削るという、一部で(しかし一度でも触れた人はほとんどが)熱く盛り上がっている企画がある。(私は常連の参加者の一人だと思っている。) そもそもは、コロナによって地域行事がほぼほぼ休止状態になっていた2020年。福岡県久留米市で行われていた「オンライン公民館」なる取り組みを見ならって、尼崎でも「尼崎オンライン公民館」がほぼ月例でおこなわれるようになった。(コロナが落ち着いたことにともなって、現在は行われていない)。 その中で、大人気の企画だったのが、フルカワさんが立ち上げた アマック25。 本家 アタック25さながらのパネルを、Microsoft Excel で作成し、パネルの変化から、出題・音声の出力まで、これ一つでやっている。(毎度感嘆している)。 出題から構成まで、すべてフルカワさん。(すげー) その熱意と行動力たるや、オンラインから飛び出し、尼崎市内でのリアルの企画、尼崎で一番大きな「市民まつり」のコンテンツになり、さらには本家「アタック25」からこのような企画をおこなう公認も得た。 本家アタック25で優勝した(パリ旅行を獲得した人も)尼崎市民も複数人、常連として出場中だ。 なにって、テレビで見てたアレ(パネルの獲得)が、実際に体験できるのだ。 アタックチャンスに至っては、もうこんなにどきどきするものだったのかと、何度やっても興奮が止まらない。笑 もうしわけないことに、フルカワさんから出場のオファーがくるたびに、家族(妻)に頭を下げ、家族の負担・いろいろなものを差し置いて出場してしまっている。(ダメおやじ) そんなこんなで、4月23日(水)は、アマック25だった。 「アマック25 尼崎ー豊田交流戦」と銘打って、先般、フルカワさんが足を運び、リアルでアマック25を体験された愛知県豊田市のみなさんと、尼崎のアマックメンバーとの交流戦。 そもそもが、先の「オンライン公民館」が豊田市でもおこなわれ交流が持たれていたことに端を発したものだろうと思う。  尼崎から4名・豊田から4名が出場。各回2名ずつ出しあって、2戦行われた。  詳細は割愛するが、第一戦の結果。  なんと、尼崎のイ...

4月20日~26日のこと(いそがしかった)

あわただしい1週間が終わってかなりほっとしている。 細やかに書いておきたいことも多々あるけれど、ひとまずざっくりと、今週の記録。 4月20日(日)西正寺寄席。26回目。お参りのあと、門徒さん、ボランティアさんのご協力を得て、西正寺寄席を開催。終了後、打ち上げ。 4月21日(月)午前は月参り。午後習字のお稽古に。夕刻~夜は阪神東組(お寺の地域のグループ)の役員会。 今年度から副組長(ふくそちょう)というお役を拝命したため、その就任歓迎の会も。  4月22日(火)やや寝不足で体調不良。午前はいつものように月参り。午後1コマ大学での講義(学部・布教伝道論)。(通夜を父につとめてもらう) 4月23日(水)。ご葬儀のお勤め・導師。9:30からの式。午後に還骨・初七日。急ぎ移動し、5時間目の講義(浄土教思想論研究)。 講義終了後、院生から研究相談。19:20オンラインでクイズ大会 アマック25に参加。緊迫した勝負の結果優勝。  ※ 葬儀を完全につとめて、京都へ移動し講義もできたというスケジュールを完遂した。(驚) 4月24日(木)。午前中は月参り。翌日に葬儀ができたため、日程を変更してお参りをさせていただくおうちをお参り。午後、研究室でオフィスアワー1コマ、講義1コマ(ゼミ)。講義終了後、急ぎ尼崎に戻り、お通夜のお勤め。  ※ 朝お参りし、午後大学で講義し、いそぎもどってお通夜をお勤めするというスケジュールを完遂した。(驚) 4月25日(金)。午前月参りと、合間に阪神東組の門徒推進員総会で法話(30分)。またお参り。午後、レジュメやスライドを仕上げて、夕刻~大阪の下寺町で浄土宗寺院の若手のみなさまの研修会で講師。その後の懇親会も同席させていただき、帰宅。 4月26日(土)。午前、月参り。お墓の建碑・納骨のお勤めも。午後は、勉強会「はすの会」終了後。無事に1週間のあわただしいスケジュールが終わったような気がしてほっとする。家族とすこし外出。

GASAKI BASE が往生(閉店)するのでお葬式をしたというハナシ。

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記載が前後するが、これもとどめておきたいと思う出来事。 尼崎は戸ノ内にあったガサキベースが往生(閉店)した。 番頭(店主)の足立さんから、半年以上前だったと思うが、「4月に閉店するから葬式をしてほしい」という話をもらっていた。ほかならぬ足立さんの頼み。この数年間、足立さんからは、たくさんの刺激・インスパイアをもらった。  またそれ以上に大きく、かつ多くの足立さんの手にかかるものが尼崎の地には、生み出され、作り出されて、影響が与えられてきたように思う。地域に多数の足跡・傷あとを刻み込んだ足立さんの節目に立ち会えるというのは、光栄なこと。 ※ 足立さんのインタビューや ガサキベースが紹介されているサイト AMANISMより OC vol.05 まちとつながるDIY 尼崎傾奇者集落とGASAKI BASE https://amanism.jp/ucma/report/entry-169.html まちなかの「村」から発信する「ほんとうのDIY」 https://amanism.jp/people/entry-90.html    ごちゃごちゃ、いうてしまったけれど、きっとみんなここが大好きなんだろうなと思う。そんな場の節目は、請われなくても身を置いておきたいと思うもの。  実際、往生(閉店)のこの日までにもたくさんの人が、ガサキベースを訪れ、別れを惜しみ、足立さんたちと言葉を交わしていたようだ。この日も、たくさんの人が、最後の日に立ち会うべく足を運んでいた。  「葬儀」と「往生」の話で、もらった時間は 30分。オーダーは、ガサキベースの葬式をし、「往生」についての話をしてほしいということ。ばたばたとする中で、準備に十分に時間をさけたとは言い難いが、それなりにイメージをふくらませ、表白(読み上げ文)もしたためた。  葬儀の雰囲気を保ちつつ、お店のアナーキーというか、「集落感」というか、ガサキベースらしさを損なわず…ということはなかなか苦慮する部分ではあったけれども、また「往生」や「死」「別れ」ということを、立ちあってくださった人たちとある種共有することはできていたように思う。  写真は当日のようす。 ※photo by 城周作 氏 ※photo by 城周作 氏 「葬式」の中で読み上げた「表白」 ●足立さんが、ガサキベースの閉店を「往生」と名付けた 足立さんから、閉店を往生...

尼崎市から感謝状をいただきました

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4月14日月曜日。尼崎市から感謝状をいただきました。 3月末日まで、1期4年の教育委員の任期を満了しました。 (※終えるにあたって、書かせていただいたものはこちらです。3月26日付「教育委員を終えるにあたって」 https://ryogo1977.blogspot.com/2025/03/blog-post_26.html )    本来は、3月31日に、感謝状贈呈式があり、そこに出席して受け取らせていただく予定でしたが、ご葬儀のお勤めがはいって、欠席のご連絡を入れたところ、再度日程を頂戴いただいて、一人だけのためにこのような場を設けていただいてしまいました。  市長はじめ、教育長、副市長、幹部の方も同席いただき大変恐縮する場でした。  あらためて、任期の4年は本当に貴重な経験をさせていただきました。今後は一市民としてまたできる範囲でできることをやっていきたいと思います。  

「大阪・関西万博に学校行事で子どもたちを連れて行かないよう求める要望」について、現状において思うこと。

SNSで、ある政党の市議団が教育委員会に対して、「大阪・関西万博に学校行事で子どもたちを連れて行かないよう求める要望」を出されたと接しました。  あくまでも、個人の意見として、教育委員会という教育行政にかかわったものの立場からの意見をあくまでも、批判・対立ではなく、建設的・相互理解の意見交換のためとおもって書き出しました。  私信的なものですが、書いてみて広く意見交換できればと思い、こちらにも転載しました。「教育委員会の立場・姿勢を理解する」側の意見です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  一応、3月まで教育委員をしていた身として、3月まで果たしていた責任として、今は市民としての思いを書かせていただきます。  ◆事務局の対応と 議員団としての要望について   教育委員会事務局の説明に納得がいかない部分、対応が十分でないと感じられる部分については、指摘や意見交流を通じても改善していかれるべきことと思いますので、種々の意見を寄せていただくべきかと思います。(※ですので、なにもいうべきではないとは思っていません。むしろ、あらゆる声が向けられ、聞いていかなければいけないのが行政機関の一つの責任でもあると思っています。ただ、そうすると無尽蔵に聞くべきかとなってしまいますので、その制度を守るためにも、市民側にも、一定の市民的責任としての民主主義についての理解やリテラシーが必要なのだろうと思う立場です。)  ◆教育委員として質問したことについて   本市学校の万博見学・参加への対応ですが、私自身も気候や種々の安全性、また近隣地域の学校対応が報道されていることから、一定の懸念を持っていた立場です。その立場から、任期終了近くではありましたが、万博への学校の参加の状況等について、質問やり取りを行って、3月定例会で質問をしておりました。これは、3月教育委員会定例会の報告書に記載されるはずです。(ただ、一部要約されていること、また「教育長報告と委員協議」の部分で、おそらく期待されるほどの詳細な議論を行ったわけではありません) 他にもたくさん論点や書くべきことがあるように思い始めました。それは割愛して、「教育委員会に、各学校へ万博へ行かないように働きかけるように」ということに含まれる問題として私が感じることをお伝えさせてください。  ...

【ご恵贈いただきました】 大正大学地域構想研究所・BSR推進センター編『地域と寺院~まちに開き、まちを拓く』(1)、(2)

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本日、大正大学地域構想研究所さまから、以下の大部なご著書2冊をご恵贈いただきました。  表題の通り、地域に開かれた寺院91か寺の事例を取材し、記事にされたものがまとめられたものです。  もともとは、同研究所が編集されていた『地域寺院』という雑誌に連載・掲載されていたものです。西正寺も取り上げていただいたことがあり、本書の2巻に収録していただいていました。  連載時から、寺院の地域活動に関するとても貴重な情報を提供いただいているものと思っていました。先年、刊行が終了し、大変残念に思っていたところでした。  現在、業界紙的な新聞、『中外日報』や『文化時報』といった紙面でも、活躍する宗教者の活動が取り上げられています。すべて拝見することはできていないのですが、これらも大変貴重な情報であるように思っています。  個別・具体的に行われている寺院・僧侶たちの活動がたくさんあるのですが、それらは個別・具体的であるが故に、なかなか集約して知ることがむずかしいように思っています。  現在は、これらのように、個別の事例を集める、という形で書籍や連載記事にまとめられ、積み重ねられているように思います。  みなさんのまわりのお寺も、もしかするとそのような大事な活動をされているかもしれません。ぜひ、門をくぐってみる機会・ご縁を持っていただけたらと思います。 (もちろん、そうでないこともあるかもしれせんが) (同封いただいていたご案内)

龍谷大学で担当する講義、スケジュール―2025年度

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 2025年、大学の講義スケジュールと、講義の内容についての概略は、以下の様なところです。 前期は 火曜・水曜・木曜に、 後期は、火曜・木曜に講義を担当します。 オフィスアワー(研究室に滞在して、事務対応、学生対応、諸連絡に応答する時間)は、木曜の3限目に設定しています。 他、若干の会議や行事、その他の業務で、これ以外の曜日にも出入りがあると思いますが、おおよそそんな感じのスケジュールです。 【前期】 《文学部 開講科目》 ・火曜 4限「布教伝道論Ⅰ」 文学部真宗学科・大宮キャンパス  → 学部生に浄土真宗の布教の理論と実例を中心に講義をします。 《大学院実践真宗学研究科 開講科目》 ・水曜5限「浄土教思想論研究」  実践真宗学研究科・大宮キャンパス  → 大学院生対象で、浄土教思想の基礎の講義と、所定のテーマについて調べてきた院生の発表をもとにディスカッションを予定しています。 ・木曜1限「実践真宗学総合演習Ⅰ(ア)」 実践真宗学研究科・大宮キャンパス  → 大学院1年次生の必修講義です。私を含めた5人の教員が担当します。担当教員のチェーンレクチャーと、受講生の研究発表を行います。 ・木曜4限「宗教実践演習Ⅰ(B)」 実践真宗学研究科・大宮キャンパス  → 大学院2年次生が所属する、いわゆるゼミです。講義も行いますが、主に院生の発表や、修士論文と実習の計画を練り上げることもここで行います。 【後期】 《文学部 開講科目》 ・月曜 3限「現代仏教入門」 文学部仏教学科・深草キャンパス (※15回の内2回を担当)  → 仏教学科のチェーンレクチャー。2回を担当します。現代社会と仏教の関係、現代社会における仏教者の活動の実例を紹介する予定です。 《大学院実践真宗学研究科 開講科目》 ・火曜3限「布教伝道論研究」実践真宗学研究科・大宮キャンパス  → 大学院生対象の授業です。浄土真宗本願寺派の布教使課程に深くかかわる授業となります。法話に関する講義と、受講生による「布教実演」を行います。 ・火曜4限「宗教実践特殊研究(E)」 実践真宗学研究科・大宮キャンパス  → 2018年度から担当させていただいている講義を引き続き担当します。  宗教社会学的研究の論文集をテキストに、受講生による発表・レポートをもとにディスカッションを行います。 ・木曜1限「実践真宗学総合演習Ⅱ(ア)...

就任2日目 「就任時研修」を受講しました。

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 4月2日。就任2日目は、このたび採用された教職員のみなさんと一緒に就任時研修を受講しました。(@深草キャンパス)  朝9時から、15:30まできっちりのスケジュール。午前は、教員・職員共通で、大学の歴史・建学の精神、人権やハラスメントへの対応、学生支援や障害福祉等の取り組み、社会保険等の福利厚生について。  午後は、教員対象の内容で、大学での教育活動について、研究活動について、それから学生に対する学修・就学支援の施策や対応、教員活動の自己点検と、社会連携・社会貢献と多岐にわたりました。    実は10年前の 助手就任時に受講しなければならなかったため、10年ぶり2度目の受講なのですが、さすがに10年の月日でアップデートされたものも多く、初めて聞くようなお話がたくさんありました。  (校門を入った直後の大学の広場 スタバもあります)  印象的だったことが、外部から来られて龍大の役職についていらっしゃる先生=研修を講師をしてくださった先生の何人かが、  ・「龍大は自由の雰囲気にあふれている(管理されない)」  ・「とても民主的な仕組みで運営されている」  (トップダウンや、権力構造ではなく、ボトムアップの意見が汲み取られる風土がある」  ・「人権や権利に対する取り組みが進んでいる」(最先端ではないにしろ、比較的早い段階から取り組む風土がある。もちろん完全ではないが)  といった言葉が異口同音に聞かれたことでした。  もちろん、問題や課題がないわけではなく、昨今の新聞報道でも龍大の課題が取り上げられたこともあります。ただ、このように感じられること、このようなことを大事にしている学風の中で過ごしたこと、あらためて母校が大事にしていたこと、「当たり前のように行っていたこと」を振り返えるような気がしました。  (東門前の掲示版。宗教部のポスターが掲示されています)  受講後は、シェアサイクルで大宮キャンパスに移動。  研究室を少し掃除し、同じ研究科の先生たちと、夕食兼打ち合わせ会を終えて帰途についています。

【ご報告】龍谷大学の教授になりました

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・辞令をいただきました 本日 2025年4月1日付で、龍谷大学文学部教授(特任)という立場に就かせていただくことになりました。文学部所属ではありますが、実質的には、7年前まで「実習助手」として勤めていた「大学院実践真宗学研究科」( https://www.let.ryukoku.ac.jp/practical_shin/ )を中心に大学院生の研究指導や、講義を行うことになります。(学部対象の講義も少し担当します) 特任教員という立場で、主として、教育活動(研究指導、演習や講義)と研究活動(自分の研究)を中心にさせていただくような立場と理解しています。現状の西正寺の住職としての立場、務めを守りながら、兼ねて大学に出させていただくような形になります。 ・研究室もあります  深草キャンパスでの辞令交付式のあと、主な勤務地になる大宮キャンパスに移動し、研究室のカギを受け取りました。  研究室は、大宮キャンパスの清風館の3階、303号室になりました。  写真のとおり、まだすっからかんのがらんどうです。  ・2024年度で退かせていただいた立場。  ご縁をいただいて再び母校に教員として、しかも昨年まで予想もしていなかった立場で復帰することになりました。学問研究ならびに諸活動でお世話になり、お育ていただいただいたみなさんのおかげと、関係のみなさまに感謝申し上げるばかりです。  主たる仕事は、西正寺の住職ということになりますが、並行してこの龍谷大学での教員生活をさせていただくということになりそうです。  それにあたって、昨年度3月までつかせていただいたお仕事もいくつか身を引かせていただくことになりました。   ・尼崎市教育委員(2021年度~2024年度)  ちょうど任期満了となり3月で退任させていただく運びとなりました。      ・相愛大学非常勤講師(2012年~2014年度、2019年度~2024年度)   ・園田学園女子大学非常勤講師(2019年度~2024年度)   ・NHK文化センター梅田教室 講師(2009年度~2024年度)   ・浄土真宗本願寺派布教使課程専任講師(2020年度~2024年度)  以上の講師のお仕事もこの3月で退任させていただきました。 いずれも貴重な経験をさせていただく環境ばかりでした。(本願寺派布教使課程については、担当していた講義のい...

教育委員を終えるにあたって 

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2025年3月までの任期をもって教育委員を退くことになりました。 思えばこの4年間は、教育行政の中に入って仕事をさせていただき、教育行政や市の制度を単に市民生活をしているだけでは見ることのできない角度から見聞きさせていただいた、得難い経験や学びをさせていただく4年間でした。 4年間、種々の課題や困難があった中に、教育委員ならびに事務局を導いてくださった教育長、またともに仕事をしてくださった3名の教育委員のみなさまには、それぞれの立場から意見を交わし、審議を重ねる時間を持たせていただきました。また、市教委事務局の職員のみなさん、学校現場の先生・教職員の方々、社会教育施設の職員の方々にも大変お世話になりました。教職員のみなさんが、日々、尼崎の教育・教育行政のためにご精励くださっていたことを直接的に、あるいは(報告や連絡などを通して)間接的に触れる日々でした。関わってくださったみなさんにお礼・感謝申し上げます。 法律・制度の建付けがそのようになっているのですが、「素人の市民」(レイマン)が教育委員としてお仕事をさせていただいたわけです。わからないことが多く、自分なりに努力や勉強しながらのお仕事でした。大きな責任・立場を与えていただいていましたが、実際は事務局のみなさんに前面に出ていただき、それによってお仕事がさせていただけていたというところが実際で、 (会議で審議・承認をするというのが仕事でもあるので、そのような形にならざるを得ない部分もあるのですが) 現実的には会議の場面で、口だけ・いうだけのような関与になってしまうことでもあり、種々ご迷惑をおかけしたこともあったかと思います。 その中でも、自分なりに与えられた責任や仕事の果たし方を自問しながら、誠実に努めるように心がけていました。ああすればよかった、こうした方がよかったのではないか等の「反省」はありますが、大きな「後悔」のようなものは持たずに、最後の委員会の場に立てているような思いでした。 4年間でわかってきたこと、理解できたことも増え、また感じている課題、積み残しているものを感じている中で身を引くことになったことは、残念な思いはありますが、私自身が考えていたこと、思いや課題感、意見は絶えず委員会で発言する機会をいただき、そちらでコメントしていましたし、また事務局のみなさんと意見交換をすることもできていました。それらを...

最後の教育委員会定例会でした(3月31日付で退任します)

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3月24日(月)教育委員会定例会があり、出席しました。 定例会は月に一度の定例の会議。年度末の3月は、人事や体制・制度の変更等決定事項が多々あり、毎週のように会議が開催されていました。(臨時会が、3月は、10日、17日、21日に臨時会、24日に定例会というスケジュールでした) この日も、来年度の人事の体制や新設の施設ができることに関して、体制について書かれた規則や予算執行についての制度の変更について提案・審議・承認が行われました。 (そして、無事すべて承認されました) この日の、会議はすこし感慨深いものがありました。 2021年4月から一期4年の任期の最後の会議でした。 会の最後には、同じく退任される白畑教育長、異動になる次長方とともに、一言挨拶をさせていただく時間をいただきました。 ※当日あいさつしたことに、追記・補足して以下の記事に挙げています。 (原稿をつくっていたわけではありませんので、記憶をもとに書き出し、補足しています)  「教育委員を終えるにあたって」 https://ryogo1977.blogspot.com/2025/03/blog-post_26.html 思えば、貴重な経験ができた4年間でした。 市の事、行政の事、教育の事、そして市役所・教育現場で働いているみなさんに接し、学ばせていただくような期間でした。本当に貴重な経験をさせていただきました。 最後に、花束まで頂戴し、皆さんと記念撮影をさせていただきました。

AIが確定申告の小説を書いた。

確定申告がおわったので、チャットGPTと確定申告について話しているうちに、小説を作成してもらうと、以下のようなものが出来上がった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  ※ 以下は、AIが作成した小説です。 ※ 主人公の「なかひら」は架空の人物です。内容も架空です。 タイトル: 申告の迷宮 確定申告の季節が来ると、なかひらは毎年、不思議な世界へと迷い込む。いや、彼の部屋は確かに六畳一間のアパートなのだが、確定申告の書類を広げた瞬間、空間が歪み、重力が変わり、あらゆる論理が破綻し始めるのだった。 「所得の区分を証明する書類を提出してください」とパソコン画面が告げる。なかひらはレシートの山に手を伸ばすが、それらはすべて空白の紙になっている。焦って引き出しを開けると、中には『確定申告における無限回廊』と題された哲学書がぎっしり詰まっていた。表紙には「収入と控除の相対性について」という副題があり、ページをめくると、「申告とは、存在を証明する試みである」とだけ書かれていた。 「扶養控除……? 扶養……? 誰が誰を扶養しているんだ?」 彼の混乱に呼応するように、確定申告書類の数字が勝手に増減し始める。「収入:3,500,000円」と記載したはずが、次に見ると「-98,000円」になっていた。 「負の収入? 俺は存在自体を控除されているのか?」 彼は書類をめくるが、どのページにも見慣れた数字がない。代わりに「あなたは昨年度、存在していませんでした」と記された欄を見つけ、思わずのけぞる。部屋の隅で影のように揺れる未提出の申告書が、無言で彼を見つめている。 混乱しながらも、彼は意を決して税務署へと向かう。だが、税務署の建物は延々とループする回廊になっており、どの窓口へ行っても「こちらでは対応しておりません」の札がぶら下がっている。薄暗い廊下の奥には無数の扉が並び、それぞれに「還付申請」「控除審査」「失われた領収書」などと書かれているが、扉を開けるたびに元の場所に戻される。天井には巨大な計算機のような装置が回転し続け、一定のリズムで「修正申告」の文字が点滅している。 待合室には無数の人々が座っているが、彼らは皆、数字の羅列になっていた。「私は平成26年度の住民税控除です」「私は特定医療費控除の亡霊です」と囁きながら、薄れていく。 やがてなかひらは、...

いい葬儀とは… 直葬的なご相談から…

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あかちゃんにあった のと同じ日。 1件のご葬儀をお勤めしていました。 先日、友人のお母さんから「友人のご主人がなくなって相談したい」と連絡があり、そこからお寺にお連れいただいたのが喪主さんである奥さん。 一緒にお越しになった息子さんと奥さんとご相談しました。 当初のご相談は「火葬場でお勤めをしてほしい」というもの。 もう、お葬式もしないで簡素に送りたいと思っていたけれど、「それではやはり…」とおもって、せめて火葬の前にお勤めをというようなことで、ご相談にお越しになったということでした。 お話をしていくうちに、それならと「今ご遺体がある安置所を出られる前にもお勤めに行きますよ。」(いわゆる出棺勤行)とご提案すると、喜んでいただけて、出棺前と、火葬場で短いお勤めをさせていただくということに。  (余録:ご相談のなかで、「法名」のことや、葬儀に関する事柄のいわれ/本来の意味などをお話しすると、「そういうことだったんですか。なるほど…」等と、とても理解いただけたような印象。なんとなく形でなぞっているだけでは、こういう納得はなかなかできないので、本当は落ち着いて、こうやってお話しする機会が大事なんだろうなぁと気づかせてもらえるような機会でもありました) その後、ご家族や葬儀社とやり取りをするなかでご家族のご希望は、「霊安室でご葬儀的なお勤めをする」ということがわかってきて、限られた時間の中でご家族、親戚がお集まりになる中で、ご葬儀的なお勤めをすることになりました。 このご葬儀が西正寺としては初めてのご縁。またお勤めの時間的にも普段の葬儀の半分くらい。また葬儀社さんがしつらえてくださったとはいえ霊安室でのお勤めで、決して「美しい」「莊嚴な」雰囲気のあるホールではないというような状況でした。しかしご相談かさねて、どんな思いでご葬儀に臨まれているか、ご家族のお人柄等知られたこともたくさんあったからか、ご家族のみなさんの儀式のお心持ちを感じながら、また出棺前のお勤めの後にご法話もしっかりと心を傾けてきいていただけるような形でできたような感覚がありました。  斎場でお勤めのあと、大変ありがたい感謝のお言葉をいただき、車で斎場を出発するまで、ご家族のみなさんからお見送りまでいただいてしまいました。汗 チャットGPTで、直葬のイメージを生成してみたもの。 何度か修正やコメントを入れてみると...

赤ちゃん生まれた

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祥月命日のお参り。 先年結婚された息子さんご夫婦に赤ちゃんが生まれてらっしゃって、一緒にお参り。 お勤めの間にすやすや。 「抱っこしてください」と言ってもらえて、喜んで抱っこして、写真を撮ってもらいました。 この赤ちゃんのお父さんは、最初の頃の「はなまつり」に、小学校時代に来てくれていた男の子。大きくなって、結婚されて、お子さんが生まれるまでに。 時間の流れを改めて感じずにはいられません。 また、世代を超えて、こうやってつながっていけるというのも、寺の住職をしていてとてもうれしいことの一つ。 それが難しくなってきた昨今。「点」ではなく「線」としてあるつながりの形をつづけていくにはどうしたらいいのかなぁという課題もあるなぁと書きながら思いいたる。

字を書いたり、片づけをしたり、お参りをしたり、ちゃんとした写真を撮ったり。

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昨日のわたし。 ・朝のお勤めから、 ・習字の練習。(3級の手習い) ・あまさきくんに協力してもらって、解体する納屋からガラクタやらなにやらの運び出し作業(40分ほど) ・中陰のおまいり、ご法事のお参り、ご法事のお参り。(終了は14:30頃) とほぼ半日をすごして、お寺に戻ると、スタッフのあまさきくんが、23日に実施する写真会のプレ(予行演習)を、友人のF家ファミリーに協力していただいて本堂で実施中。 僕もちょうど必要だった、証明写真的なものを撮影してもらう。 (上半身だけなので、下は適当という内幕。笑) この写真撮影の本番は、2月23日(日)。 http://saishoji.net/archives/1953 「お寺で撮る、「ちゃんとした」写真」というもの。 あまさきくんが企画した、写真を切り口に、ICTに親しんでもらおうという意図で、 今回は、AI補正を参加者にもしてもらう試みらしい。 はずかしいので、出さないけれど、出来上がりの写真は、近所のインスタントとは比べ物にならない。プロにとってもらったといってもいいくらいの出来栄え(ではないかと個人的に思っている。※あくまでも個人の主観です) まだ空きはあるようなので、ご近所で関心のある方はぜひ。 遺影にも、証明写真にも、宣材にも、とてもちょうどいい写真がもらえるはずです。 そんな中、子どもたちは、本堂の堂内、境内のあちこちで遊んで楽しそう。 折からの寒さで、夕刻まで氷が残っているものもあって、ものめずらしそうに氷で遊んでもいた。(「寒いのによく触れるなぁ」と思ってしまっている。子ども心をうしなってしまった、アラフィフのおじさんになってしまったからだろう…) 小学生のころは、冬は毎日のように、氷が張っていて、それで遊んでいたように記憶している。最近は氷が張る日も少なくなった。温暖化の影響か。 西正寺の行事・イベントは、公式ラインで発信しています。関心をもっていただけましたらぜひぜひご登録ください。 西正寺のラインはこちらから https://lin.ee/2DAZCtq

教育委員会(臨時会)に出席 人権や教育について考える機会

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※途中まで書いていたのですが、書ききれずに止まっていたものを書き改めてアップします。 先週の月曜日、2月3日は、午後から教育委員会の会議(臨時会)に出席しました。 会議をしたよ、ということ 教育委員会の会議自体は公開で行われるが、非公開の議案も多くその場合は、傍聴者に退出していただいて会議を行います。(そもそも傍聴者がいないことも多く、今回もその例。複数人いるということも珍しいケースでもあるが) 会議は長時間に及ぶことも多く、今回も15:30開始、非公開と平場の協議も含めてすべての日程を終えて会議室を出たのは20:00頃。 会議の内容は ・市議会に出す補正予算関連の議案 ・人事異動に関する定数の変更に関する議案 ・国の人事院勧告にあわせて給与制度の見直しをする議案 等でした。 議案は非公開のものもあるので、具体には触れませんが、委員からは種々の方面から質問し、答弁をもらいました。私個人は4年目(一期目)なので知らないことも多く、いただいた答弁の1つ1つが勉強になりました。(ほかにどこで使えるのかわかりませんが)  今回は、国の年度内予算の補正(市に対する補助が発生するタイミング)と、市の翌年度予算のタイミング(ちょうどこの時期)の兼ね合いから、今年度予算で組んでいたものが前年度の予算で計上されているという二重計上(ある意味でテクニカルといえる予算の処置と思いました)という複雑なスキームがあることが理解できました。  ※ 本当にどこでこの理解が使えるのかを考えると…ですが。笑 会議の中、委員や事務局のみなさんと話す中で起こった、「人権」に関するディスカッションが個人的には大切なことではないかと思っているので備忘のためも含めて、こちらに書き出そうと思います。(ディスカッションといいながら、書き記すのは自論になりました) 「人権」(差別)の問題はどこからおこるのか  会議の中で「人権」について関わる話題がありました。  具体に立ち入ることは、非公開の審議に関わる差しさわりがあろうかと思われますので、問題と思ったことに焦点を当てて紹介したいと思います。  しばしば、人権にまつわる取り組みが、「心」の問題だけに焦点を当てて語られてしまことがあります。たとえば「思いやり」とか「やさしさ」とか。  しかし、人権はそういったあいまいな「やさしさ」とか「おもいやり」などで守ることがで...

新聞掲載情報 文化時報 2025年1月14日号 テラハについて

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昨年12月14日に、西正寺で テラからはじまるこれからのハナシとして開催した、「異教の隣人」ってなに?~国際理解には宗教がほぼ半分 外国ルーツの隣人を知るために」について、文化時報1月14日号で記事にしていただきました。 西正寺として許諾をいただいてホームページに掲載しました。 ぜひリンク先からご覧ください。  http://saishoji.net/archives/1997 このイベントの当日は、多文化共生の課題や、日本に移住してきた外国の人たち(ニューカマー)が、自分たちの文化でもある宗教をどのように大切にしているのか、大きな施設あるいは、アパートや工場といった施設を転用してまで、守ろうとしている宗教的生活について触れる貴重な機会でした。 参加者のみなさんも、初めて触れるテーマ、初めて聞く話だとおっしゃりつつ、来てよかったというお声をたくさんいただけた機会でもありました。

尼崎仏教会総会に出席。(1月29日)

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1月29日の午後の予定としてもう一つ。 16時から尼崎仏教会の総会に出席してきました。 諸先輩方にご挨拶。 決算・予算の承認などを行いました。 このほか、火葬場や葬送に関する問題提起などもあり、仏教会としても動いてもらえたら大変ありがたいなとおもう提案もありました。 会の後は懇親会。普段はご一緒できない他宗や他の真宗寺院のご住職方とご一緒する貴重な時間でした。 スケジュール的になかなか会の活動には参加できずに申し訳ないところではありますが、久しぶりに参加出来て、貴重な時間でした。  

猪名川倶楽部主催 トークイベント「園田アイランド~まちの魅力とこれから~」の打ち合わせとお知らせ

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 昨日(1月29日水曜)の午後は、園田東生涯学習プラザで、以下のチラシのイベントの打ち合わせをしてきました。  2月24日(月・祝)に 猪名川倶楽部という団体が主催し、園田の魅力について語られるトークイベントがあり、そちらに登壇者の一人として上げていただくことになりました。   尼崎を知り尽くしている若狭健作さんが、基調講演的にお話されて、その後、藤川所長と中平が辻川さんのコーディネートのものとお話しするという構成の予定です。  若狭さんが作られている『南部再生』( http://www.amaken.jp/ )でも、以前「園田アイランド」という特集で園田を扱われたこともあって、こちらにも大変おもしろい園田情報がたくさんのっています。    当たり前すぎて住んでいるからこそ気づかないまちの魅力を認識できる時間になればいいなと思っています。  お時間あれば、ぜひぜひ足を運んでください。

クラウドファンディング 「難病者の社会参加白書」の制作

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両育わーるど代表の 重光さんからお知らせをいただいたので、 表題のクラウドファンディングに一口入れました。 応援したクラファンのリンクは以下です。 制度の狭間にいる難病者700万人の社会参加の選択肢を増やしたい~『難病者の社会参加白書 2025』の制作~ https://readyfor.jp/projects/ryoiku2025 【ご縁】  両育わーるどさんの星野さんが、西正寺で  THINK Universal  ( https://www.facebook.com/events/170255940556461 )というイベントを開催してくださったことによるご縁から。(さかのぼっていけば、そこにつながるご縁は ミーツ・ザ・福祉 でもあり…さらには…となっていくものだけれど) (懐かしい写真 2018年11月11日のイベント・・・ もう6年以上前か…)  この時は、障害のある世界、状況をツールを使って疑似体験するような経験をしたイベントだった。その後、別件で東京にいったときに、星野さんから代表の重光さんに引き合わせていただき、お茶をご一緒した。(お目にかかったのはそれ1回だけだけれど、ご自身の「難病」の事や、活動の事など伺ってとても心に残っている時間でもある) 【クラファンについて】  2021年にも、「難病者の社会参加白書」を制作するクラウドファンディングをされていて、今回がその第2弾。前回の時にも一口入れさせてだいて、この白書は自宅にもある。  ※前回作られた 白書は、こちらのリンクから参照できます。   https://ryoiku.org/wp-content/uploads/2021/09/2021_white_paper.pdf  難病について、僕自身も知っていることはあまりない。重松さんや、このクラファンで紹介されている情報の一部に接しているくらいである。そういう意味では、ほとんど知りえていない、でも厳然と、明確に、しかし見えづらい生きづらさが目の前にあるような感覚といえるかもしれない。   難病を抱えた方たちの実情や状況については、前回の2021年のクラウドファンディングの情報に大変詳しく書いてあったので、ぜひそちらを参照してみていただきたい。   2021年のクラウドファンディング  https://readyfor.jp/projects/r...

豊さと貧しさ(その2)

ht tps://ryogo1977.blogspot.com/2025/01/blog-post.html (その1)からの続き  冒頭にあげた言葉   「豊かさ」を知るということは、むしろ自分の中にある「貧しさ」と向き合わなければならないのではないか。貧しさを知らなければ、本当の意味で豊かさなんてわからないのではないか。  自分が過ごす時間を、「豊かな時間」にしようということも、そもそも子どものすごす時間が豊かな時間であるということに気づくことさえも、どうして起こったのかということを考えれば、今、自分の過ごしている時間のなかにある「貧しさ」を知らなければ起こりえなかったことではないかと思う。  あるいは、それが「子どもが過ごす時間の豊かさ」に触れて、自分が抱える貧しさが知らされ、立ち上がってきたとしても、それは自らの中にそれがあるからこそ、その対比が立ち上がってくるものでもある。   子どもの時間だけでは、その意味するところも豊かさも知ることはできない。自らの中に貧しさがあるからこそ、貧しさと対極にあるものー何が豊かで、何が自分には失われいるものであるのかということが、知らされてくるのではないだろうか。  もう一つ、印象的な逸話を紹介したい。これは、ある友人から人づてに聞いた話でもある。  その人は青年海外協力隊の活動で、水の少ない地域で井戸を掘る仕事に数年間住持していたという。任務を終えて、日本に帰ってきたとき、空港のトイレに入り、水道の蛇口をひねったときに、涙が流れて止まらなかったそうだ。  現地であんなに苦労して、井戸を掘っても、安全な飲み水を手に入れることはとてもむずかしかったのに、ここではこんなに簡単に安全な水が出て、トイレにきれいな水が使われている。こんなに豊かに水があることが、当たり前ではない状況をしっているからこそ、なぜか涙がでてとまらなかったという経験をしたというのである。  その話を聞いたとき、私には「水」を見て涙を流す感情というのはまったくわからなかった。彼が感極まっている豊かな日本の水に、毎日触れているが、それが当たり前で涙を流すことなどできようもなかった。  それはなぜなのだろうか。僕と、その話の彼との違いは、「水の貧しさ」を知っているか否かではないかと思った。僕は水の貧しさを経験していない、当たり前に水はあるものだと思っているのに対し...

豊かさと貧しさ(その1)

  浄土真宗本願寺派という教団の取り組み「実践運動」には「自他共に心豊かに生きることのできる社会の実現のために」というフレーズがある。  このこともあってか、いつのころからか「心豊か」ということについて考えたりするようになった。「心豊か」って何なのだろう。「豊か」って何なのだろう。  それが、先日自分でもこんな言葉が出てきて驚いたくらいなのだが、こんなことを口走っていた。  「豊かさ」を知るということは、むしろ自分の中にある「貧しさ」と向き合わなければならないのではないか。貧しさを知らなければ、本当の意味で豊かさなんてわからないのではないか。   言った後から考えてみると、そうだな、そうなんだなとやけにうなづけることがある。  いつも、子どもを保育園に送っている。(朝、保育園に子どもを送っていくのは主に私)  いま3歳になった息子は、以前よりもかなりすんなりと保育園に向かってくれるようになったが、2歳くらいまでは、心の赴くまま手を伸ばし、首を伸ばし、なかなか足取りをすすめてくれはしなかった。  花壇では枯葉を広い、歩道のポール(10本くらいある)の金具を手に取りガチャガチャと引っ張って音を出して楽しむ。公園に寄り道しよう、ダンゴムシ探そう、行きたくないとその場に座り込んだりもする。  大人の足でだいたい5分もあればつくところを、彼といつも10分以上かけてようやく保育園に到着していた。5分でつけるのに、10分もかかるのは、ムダな時間だと思うのが普通ではないだろうか。朝は時間がない。10分が5分に、5分かかることが3分になるならなおのことよい。すこしでも節約したい、要領よく時間を使いたいと思うのは、多くの社会人が共感してくれる思いではなかろうか。  僕も息子に「はやくして…」といったことは、1度や2度ではない。(すまない…)  しかし、ここでさっきの「豊かさ」ということを考えてみよう。僕と息子と、どちらが「心豊か」なんだろうか。  僕の時間/オトナの時間は、節約して、要領よく使いたいといえば、聞こえがいいが、言い方を変えれば、「短ければ短い方がいい」ということだ。もっというと、それがない方がいい、無い方が望ましいという時間でもある。  しかし、彼(息子)の時間/子どもの時間は、大人が5分でできることを10分かけているけれども、1分たりとも無駄な時間ではない、楽し...

はすの会の報恩講と、年が明けてもう18日もたっていたという…。

今日もあっという間に1日が過ぎた。というより、新年になってもう18日。1月の半分以上、つまり、1/24以上が過ぎているということに驚いている。このままだと、また今年もあっという間に過ぎてしまいそうだ…。  ずっと、ばたばたと過ごす中に1日が終わっていく。やるべきことをやっていると時間が足りなくなっていく感覚。本を読んだり、ちゃんとした文章(論述)を書いたり、思考を深めたりという時間を持てなくなってきたなぁという焦りも頭の中に。 「書く」ということを習慣づけて、また 頭の中で考えたりするという作業をリスタートさせなければとおもったり。そのようなことで、またつれづれなるままに、雑文を書き出してみんと。  先週から葬儀が3件。いずれも、ずっと深いお付き合いをし、お寺を支えてくださった御門徒のご葬儀。1つ1つが寂しいお別れであると同時に、時代の変化、画期を迎えていることを感じるようなお別れ。これからのお寺のあり方を考えざるを得ない。  どんどんどんどん、お寺を取り巻く環境は変わっていく(厳しくなっていく…)。  午後からは「はすの会」(自坊でしている有志の御門徒さんとの勉強会」の報恩講をお勤めした。  いつもの御門徒、参加者にくわえ、この報恩講には参加してくださるご門徒のご婦人方に加え、今日は、近隣にお住まいの方(拙寺へのお参りははじめて)と、R大学の学生さん(以前特別講義でお話をしに行った関係者)と、「浄土真宗の法話案内」(インターネットの法話案内サイト)を見て、他市から足を運んでくださったという方。いつも以上に大勢のお参りをいただいて、お勤めできた。   御講師は、大阪の森祐真先生。お念仏の中で生活すること。(個人的に言い換えると、生活の中でお念仏をするのではなく、お念仏の中で生活をすること、生きることの中心にお念仏があることを示されたのが親鸞聖人のご生涯)というお取次ぎをいただいたように受け止めさせていただいた。  このはすの会の報恩講は、御法話のあと、御講師も一緒に車座になってお茶会をしている。今回は、「お墓」のこと、「ご葬儀」のこと、仏事のこと、あれこれ話題がもりあがり、とてもいい雰囲気だった。こんな感じで お座をつづけられたらいいな。   (次回は、2月15日(土)。といいつつ、今年のテーマもまだ決めかねて 次回に持ち越している)  法要のあと、初七日にお勤めに...

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