2007年1月31日水曜日

納骨

 仏事は、長い期間ずっと同じことをやっているように思われがちだけれど、伝統的に見えるものであっても、比較的近年に成立した風習であるということは、よくある。



 例えば、納骨。



 先日、とあるおうちで「納骨はいつしたらよいか?」ということを聞かれた。

 某研究所の仏事に関する電話相談でも、よくある質問のひとつだ。



 解答「いつでもいいですよ」「ご家族の都合にあわせて、されればいいですよ」



 現実の場面としては、四十九日であったり、一周忌であったり、三回忌であったり、節目でされることが多い。しかし、それとてもかならず、その折に納骨しなければならないというものでもないのだ。



 そもそも、納骨の時期を選べるのも、「火葬」して「骨」になっているからだ。

 火葬が制度化され、土葬が多かった時期では、亡くなって何日もたたない間に埋葬しなければならなかったのだろう。





 大事な人の遺骨であればあるほど、扱いは遺族にゆだねられるべきではないか。

 大事な人の骨であるから、大事にすぐさまどこかに納めたいと思われるかもしれない。

 大事な人の骨であるから、離れたくなく、家にもっと置いておきたいと思われるかもしれない。





 本来、「どうすべきか?」ではなくて、「どうしたいか」を自らで決めるべき問題なのだ。

 当然、僧侶として、葬送儀礼に携わるならば、それ其相応の選択肢を提示することも求められるだろうが。

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