今日の勉強会の中で聴いた話。
大乗の思想は、目的とそれにむかう行とが必ずしも一致しない。
たとえば、「お茶断ちをすることによって、ある試験に合格することが可能」という思想を受け入れることができる。
そこには、「お茶断ち」と「試験に合格」することになんら因果関係も、脈絡もない。
お茶断ちをしたことによる功徳を「回向」を媒介にすることによって、試験に合格するためのものに転嫁することができるのだ。
日ごろ当たり前のようにされていることも、実は仏教的な思想に支えられているということか。当たり前の中には「至極当たり前になりすぎた」高度な思想が含まれている。
2007年1月17日水曜日
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