2日ほど記録がつけらずにすぎてしまった。(現在8月25日)
8月23日火曜日、晴れ。
午前は月参り、午後は京都へ伝道院(布教使課程)へ出講。夕刻、尼崎戻り、通夜のおつとめというスケジュール。
月参り3件。すこし余裕もあったので、自転車で移動。 バイクや車だと、ただ「移動」で終わってしまうところが、自転車くらいのスピードだと、ゆったり風景を眺めたり、すこし頭のなかで考えを巡らしたりしながら移動できるような気がする。精神的に少し落ち着けることもある。(自転車にのりながら、それができないときももちろんあるが)
午後、車で京都へ移動。伝道院(布教使課程)の講座で、山口の荻先生、北九州の松崎先生と、オープンな法座(夜座と命名)の企画を担当。研修生のみなさんと、広報や、法座の内容などを詰めていく企画会議。
25日木曜日を第一回に予定し、準備をすすめてきていた。この講義中に話をまとめ、広報を始めた矢先に、諸事情から「25日はクローズドで」開催することになってしまった。 非常に残念。
来週以降は、公開できるようにしたいとおもっているので、関心をもってもらえたら足を運んでいただけたらうれしい。
◎「法座」ってなにか。
おつとめ(読経)をし、ご法話(お説教)をお聴聞する機会を「法座」と呼んでいます。
浄土真宗の場合は、教えにであう機会、教えを聞き、味わう機会を「法座」と呼んでいます。 布教使課程という、布教使を養成する課程で、「法座を開設する」、つまりお説教をする場を自ら開くというカリキュラムが設定されています。
これは、私個人は大変意味深いものだと思っています。これまで、浄土真宗本願寺派の「伝道」といえば、主に「法話・お説教をすること」つまり、「話し、伝えること」を習得することに多くの時間を費やしていました。(このほか、教えや聖典を学ぶことはもちろんですが、それはいずれもインプットに当たります。つまり、アウトプットのほとんどは、「話すこと」に全振りだったといってもよいかと)
実際に布教使となれば、全国の別院やお寺、そして本山で布教する機会を得ていくことになります。しかし、いま起こりつつあることは、既存の法座がどんどんと規模が縮小していること、あるいはそもそも成り立たなくなっていることです。従来型の法座・法要は、寺院のコミュニティの変化、門信徒との関係性のうつろいから、右肩下がりであることは否めません。 場が成り立たなくなりつつある中「伝道する」ということは、既存の場に安住するのではなく、新しい「法座」を作り、新しい関係性を切り結んでいくことこそが必要なことだと思っています。
今回、布教使課程でチャレンジされている「法座をひらこう」という名のもとで行われる一連の研修には、そういった今の社会の変化の中で必要な資質や能力を磨こうというチャレンジ精神があると理解しています。
◎ 「法座」の補足
ただ、そういった「新しい法座をひらく」というと、どれだけ新規性のある人が来たか(要は人数や規模)といった外形的に「わかりやすい」評価軸を求めがちになりますが、担当している講師の一人として、僕はそういった「わかりやすい」ものではないものを、どれだけ大事にできるかも問いたいと思っています。
法座は、お参りに来てくださった方、そして初めて参加される方をおいてけぼりにしたり、「わけがわかんない」となってしまってはいけませんが、一方で単なる参加者へのサービスや楽しませというものになってもいけないと考えています。
参加者の評価やわかりやすい成果が求められる本質ではないのだろうと思います。
法座の本質は、主催者である僧侶(住職)自身が、法座をひらくことにあるよろこび(お経をおつとめすることのよろこびや、教えを聞くことのありがたさ、うれしさ、よろこび)を一番に感じて、そのよろこび味わいが、同心円状にひろがっていくようなものなのではないかと思っています。 あるいは、参加者の門信徒の方の方が、より大きなよろこびを感じ、それを発露させることが、僧侶(住職)へと伝わり、さらにそれが法座をひらくモチベーションになることもあるかもしれません(つまり、参加者の方から同心円状にひろがっていくという形)。
いずれにせよ、法座の本質とはなにか、なにが一番大事かと考えたときに、だれかが誰かのためにサービスをしてよろこばせることや、そのための義務や負担を背負うことではなく、その法座の営み自体が、教えに触れるよろこびの発露であるようなところが本質的なことではないかと思っています。
この伝道院で行われる「夜座」(オープンにされている機会)は、伝道院の研修生が中心になっておこなわれています。それは、その研修生のみなさんが、普段されている営みとしてのおつとめ・教えが、あじわいあるものとして、よろこびあるものとして勤められているかが問われ、そこにある思いが伝わっていく機会でもあるのだろうと思っています。
◎そして、夜
伝道院の研修を終えて、帰途。帰坊後、すこし休憩してお通夜のおつとめに。
代々にお寺、地域と深くかかわってくださった門徒さんのおうちのご葬儀。
当たり前に、お寺に関わってくださっていた方、地域で働いてくださっていた方がいらっしゃらなくなっていく。ひとつひとつの別れの中に、自分の幼少期には当たり前だった地域の様子が、変化していくことを強く感じていく別れでもあった。