松村真宏『仕掛学~人を動かすアイデアのつくり方』
松村真宏『人を動かす「仕掛け」~あなたはもうシカケにかかっている』
同一の著者の本。結構前に(多分2016年くらい)読んで、本棚に並んでいた本。別の本を探している際に、ふとまた手にとった。 この二つの本は、『仕掛学』は文章で少し硬めに、『人を動かす「仕掛け」』の方はマンガでとても柔らかに書かれているが、紹介されている「仕掛け」にはかなり重なるものがあった印象。
両書とも、ついつい「やってみたくなる」仕掛けがふんだんに紹介されていて、それを眺めているだけでも十分刺激的で楽しい。
◎仕掛けとは…
そもそも、仕掛けとは、もともとは人工知能の研究者であった筆者が2005年ごろから新しく取り組み研究分野とされる。筆者によれば、仕掛けとは、「問題解決につながる行動を誘うきっかけとなるもの」であり、
(1)公平性:誰も不利益を被らない。
(2)誘因性:行動が誘われる。
(3)目的の二重性:仕掛ける側と仕掛けられる側の目的が異なる。
という3つの要件を満たすものと定義されている。(『仕掛学』36頁。)(その意味で、一般的な意味で用いられる「仕掛け」よりも限定されているものとされる)
今では、仕掛学研究会なるものも開催されているようだ。(仕掛学研究会:https://www.shikakeology.org/)
◎ナッジとの違い
近年、尼崎でも「ナッジ」という名前で仕掛け的な取り組みを耳にしていた。(例えば、こんな報道:https://amagasaki.keizai.biz/headline/1156/)。また、各地の行政でも積極的に「ナッジ」を取り入れようという動きがあるらしい(ネットで検索するとたくさん出てくる)。今回、すこしネットで両者の同異について気になり検索してみた。
すると、本書の著者・松村真宏氏のホームページ’(シカケラボ https://mtmr.jp/ja/)には、仕掛けとナッジを「違うもの」として、その比較した表が提示されている。それによると、両者の相違は以下の通り。
仕掛け | ナッジ |
---|---|
|
この両者のうち、ナッジが リバタリアン・パターナリズムであるのに対して、仕掛けは、リバタリアンオルタナティビズムとうたっている相違は大変興味深く、また重要だと思った。
以下のページ等を参照いただくと、両者の相違がどのようなものか、わかりやすいのではないだろうか。
ワークショップ設計所「リバタリアン・パターナリズムを超えて」:https://ws-plan.pro/super-libertarian-paternalism/
【リバタリアンパターナリズムとは】ナッジとの関係・要点・批判をわかりやすく解説:https://liberal-arts-guide.com/libertarian-paternalism/#2-4
このような捉え方をしてみると、「行政」がナッジを利用するというところに対して、無条件の追認をしていくというところにも、僕は「怖さ」や「警戒」を含みもっておく必要があるように思われた。
誤解のないように付言しておくと、「ナッジを使うな」というわけではない。ナッジに含まれている効能には「毒性」もあるのであり、その毒性については、よくよく自覚的であった方がいいのだろうというくらいである。
自分自身はどちらが好きかというと、オルタナティブであろうとし、パターナリズムから距離を取ろうということを謳う、「仕掛け」という響きがこのましいなぁと思っている。
(ただ、上記の研究会の成果などを拝見していると、両者の差意を厳密に見分けていくことはなかなかむずかしいのではないか、とも思ったりしている)
雑想ながら。
0 件のコメント:
コメントを投稿