『南部再生』vol.65を西正寺に届けてもらった。
届けてくれたのは、これを刊行している南部再生研究室http://www.amaken.jp/)の若狭健作さん(お友だち)。
届けてくれたのは、これを刊行している南部再生研究室http://www.amaken.jp/)の若狭健作さん(お友だち)。
南部再生研究室(ツイッター:https://twitter.com/amaken_amgsk)は、2001年3月に、尼崎公害訴訟の和解金をもとに設立され、この『南部再生』の刊行の他にも、尼崎の運河でクルージングしたり、”幻の郷土野菜尼いも”を復活させるなど、かなりナナメのエッジの効いた尼崎の魅力を創出する活動をし続けてくれている(と私は思っている)。
この『南部再生』では、尼崎の、主に南部地域の魅力を発信し続けていて、いまや尼崎にとどまらず、市外にもファンは多い。また、他市町には、これをモデルにしたフリーマガジンが刊行されるくらい。(https://twitter.com/Ryo_Saeki/status/1265447535193108480)
なかひらも、数年前から、編集会議に遊びに行かせてもらったり、可能な時には記事を書いたりしてお手伝いさせてもらっている。仕事とか負担というより、ただただ楽しくかかわらせてもらえて、大変楽しい。
※今号は、「園田にかける橋番付」と、「島人も知らない七不思議」の一部を執筆させてもらった。
今回は、「南部ちゃうやん」という大方のツッコミが予想されがらも、あえての園田(われらが西正寺も所在する地域)の特集。おそらく園田地域の多くの人が、答えられないだろう園田の「謎」も取り上げられている!
〇そもそもどうして「園田」というのか?
〇園田にはなぜ「東園田町」しかないのか?
(「園田」を関する地名は、尼崎には、園田も、西園田も、北園田も、南園田もなく、「東園田町」しか存在しないのだ)
〇なぜ、「島之内」は、尼崎市を中心としながらも、伊丹市・豊中市に越境しているのか?
〇園田村の村章が不明
〇水路沿いにある数え橋はなにか?
〇園田学園は、なぜ「塚口」にあるのか?
〇田能は、「たのう」か「たの」か。
⇒ このすべてを知っている人などいるのだろうか?
しかし、これらの謎の答えは、『南部再生』にあるのだ。(一部はなお、不明のまま)
今号もディープな尼崎のスポットが紙面のいっぱいにとりあげられているが、この中でももっともディープなスポットのディープな部分に踏み込んだなぁと思われたものが、この「戸ノ内というシマ」(山納洋さん筆)だ。
園田島(園田アイランド)の南端にかかる二つ並んだ橋を越えていきつく、尼崎の極東の極東エリア「戸ノ内」。幼心に市バスの行き先表示にある「戸ノ内」がやけに印象的だったあの場所。
尼崎の中でも、紆余曲折・複雑な歴史を刻んできた場所でもる。2ページという限られた誌面に、ぎっちりとつまった戸ノ内の歴史は必読。
ちなみに、いま戸ノ内には知る人ぞ知る賢者が住んでいます。
西正寺でも、いただいた分がなくなるまで、お配りしています。
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