8月15日月曜日。快晴、相変わらず暑い日。
お参りのスケジュールは、月参りと、お盆のおまいりと、お葬式。遠方(原付で20分程度)もあり、ひとりではむずかしく、前住職(父)と調整して分担。
ここ1週間ほどは、お盆まいりの予定が入っていた。久しぶりにお目にかかるおうちの方、毎年この時期にお目にかかる”恒例”のおうちの方、さまざま。しかし、いずれも一軒一軒が大切に故人と向き合い、仏さまに手を合わせる時間に、お経をおつとめし立ち会わせていただく。
お盆のおつとめには、できる限り(ほとんど)仏事のこと、教えのことを、時には真正面から、場合によっては雑談にまぎれこませるようにしながらお話をさせてもらってきた。
「小話がいい」という感想ももらったりした。 1週間近く、そういう時間に立ち会わせてもらい続けたせいかもしれない、こちらの方がなにか、そういう宗教的な感度(霊感とかそういうものではない。オカルト的なものでもない。人生や、生死についてしっかりと考え、向き合うこと)のアンテナを高めさせてもらったような気がしている。
当たり前のように、お盆という時期を通して、故人に向き合うこと、生死を考え、それぞれの人生に向き合うことが行われていたのかもしれない。
お盆参り・葬儀の一連のおつとめと、夕刻まで移動や待ち時間をはさみながら「おつとめ」をさせてもらいつづけた一日。 さすがに夜にはあまり頭がまわらない状態になっていた。帰宅後、アマゾンプライムで「逃げ恥」を見ていたら、なぜかちょっと元気が回復した夜。
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